2024年10月1日のハイパー縁側@淀屋橋は、山内菜都海さんをゲストにお迎えしました!
テーマは 「“都市と地方、どっちも。”な生き方」

つい先週、フランスを訪れていた山内さん。ヨーロッパが大好きで、特に南欧がお気に入り。ポルトガルやスペインなど、地方のまちをよく訪れるそう。人口10万人ほどのヨーロッパのまちでは、人々が希望に満ちて幸せそうに暮らしている印象を受ける、と言います。一方、日本では人口10万人前後のまちは、財政状況も厳しく、お先真っ暗なイメージ。この「幸福感」と「不幸感」の差異は何なのか。毎回、東京に帰ると夢から冷めて、ガッカリした感覚に陥っていました。
とはいえ、日本は山内さんにとって生まれ育った大切な国。「日本の人口10万人のまちを、元気にしたい」「みんなが、ウキウキと幸せそうに歩いているようなまちをつくりたい」と、学生時代から一貫して想い続けていると語ります。

山内さんは、東京で生まれ東京で育ちました。大学卒業後は、まちづくりや地方活性化に携わりたいと、大手ゼネコンへ就職。東京を拠点としながら、都市開発に従事してきました。その後、30才で名古屋へ転勤となり、初めての地方暮らしを経験。以前から、マイタウンのまちづくりに関われたら理想だと感じていた山内さんは、意気揚々とまちづくりに勤しみ、名古屋生活を楽しんでいました。

1年半ほど経った頃、東京でのオリンピック開催が決まると、「開発は、東京でしか儲からない」と、地方支店の社員が呼び戻される事態に。山内さんも、東京の案件を担当せざるを得ない状況となってしまいます。そこで、山内さんは離職する事を決断。福岡か神戸に住みたいと考えていたので、JR西日本不動産開発へ転職し、神戸に移住します。

東京に住んでいた頃は、会社のある新宿がメインテリトリー。そのエリアを歩く時には、肩書きを意識したり、社会的責任を感じてなのか、力が入っていたと東京生活を振り返ります。10年ほど経過した神戸の暮らしは、三ノ宮を歩いてても、元町を歩いてても、肩肘をはらなくてもいい。

“鎧を着てない感覚”が心地いい、と山内さんは言います。また、地方都市へ行くと、さらに“鎧を脱ぎ捨てる”事ができる。人口7〜8万人ほどのまちを訪れると、初めてでも「ただいま」と言いたくなる、と地方のまちの魅力を笑顔で語ります。

転職してからは、高架下や駅ビル開発などに携わってきましたが、地方創生にダイレクトに関わりたい、と考えていました。2021年「地域共生部」が発足すると、本格的に地域活性化に取り組む事ができるように。前職のゼネコンに勤めていた時は、1つのエリアに狭く深く関わるというスタイルだったのに対し、現在は誰かと誰かを繋げたり、どこかのプロジェクトに紐づける為に、東奔西走する日々。

様々な地域から声がかかり、土日のイベントに呼ばれる事も多く、仕事とプライベートの境目が曖昧になりがちだそう。プライベートとして訪れても、結果的に仕事に繋がる率も高いのだとか。

地域活性化事業は、種を撒いてから結果が出るのに時間がかかるし、見えにくい。明確な判断軸を決めるのも難しい。会社としてまだ「型」はできていなくて、試行錯誤で前に進んでいる状況だ、と言います。ただ、コロナ禍を経験し、世の中の風潮としてどこかの地域とタッグを組み、協業しようとする大企業が増えている、と山内さんは指摘します。

また、石破政権になった事も追い風になるのでは、という期待も。「10年後には花開くよ」という実例を先に見せる事ができたら、地方にのめり込む会社が増えていく。部員みんなで手探りで進めながら実現していきたい、と意気込みます。

“都市と地方、どっちも。”

そんな山内さんが、2022年に取り組んだのが、『地域ものがたるアンバサダー』事業。富山・福井・鳥取の3県を対象とし、それぞれ7名ずつアンバサダーを募り、半年間、月1回その県に通い、その土地を知り、地元の人々と仲良くなろうというプログラム。当初、個人的な山内さんの趣味で、“関係人口”を増やす活動をしていましたが、コロナ禍で観光が下火になっていた社会情勢から、会社の事業として始動してもいいという許可が下りたそう。自分が知っているローカルの良さを、みんなに知ってほしい。山内さんが実践していた、“都市と地方どっちも”な生き方をする仲間を増やし、裾野を広げたいと考えていました。「プライベートを、会社に持ち込んじゃいました」と、笑います。

半年間はアンバサダーに交通費補助が出ますが、宿泊費などは自腹。山内さんは、「強制的に通う事で、地域や人々に対して愛情は芽生えるのか」「交通費が支給されなくなっても、地域に帰りたくなるのか」を実験し考察しました。実際に、アンバサダーとして福井へ通っていた方は、交通費補助が出ないとなかなか行かないけれど、「気持ちは、いつも福井にある」と話します。

また、福井で培ったネットワークが数年後にじわじわ効いてきている感覚があるそう。当時、金沢の大学生で福井のアンバサダーだった方も、現在は大阪で仕事に就き、北陸との繋がりが仕事に生かされている、と言います。

先日、香川県三豊市を訪れた山内さんチーム。山内さんは父母ヶ浜を訪れたのは3回目でしたが、1・2回目は、まちのキーマンと会えませんでした。今回は、地域プレイヤーの皆様と意見交換をする事ができ、行く前と行った後ではチームの価値観がガラッと変わった、と実感しています。

様々な地方創生の成功事例を視察していると、自治体主導で資金面も補助金で回っている事例がほとんど。しかし、三豊は100%民間事業で回っていて、公金をほぼ使っていません。また、三豊の人に会う事を目的に訪れる人がいて、それをきっかけに投資が生まれている点も素晴らしい、と話します。

2020年、コロナ禍でリモートワークが浸透していき、多拠点生活が進むだろうと予測していた山内さん。しかし、予想に反して広がっておらず、地方を浮遊するスタイルの生活人口を増やしていきたい、とムーブメントを起こしているものの、まだ答えは見つかりません。日本人の真面目で精巧な気質が関係しているのかも、と感じています。山内さん自身は、そんな生活が楽しいと感じるけれど、合う人と合わない人がいる事は事実。

また、ゼロかイチかの地方移住となると、実際に給料が下がる事も。山内さんは、一択でなくて二択・三択を選ぶ事ができる世の中だ、と捉えています。だからこそ、リモートワークを使いながら、一歩を踏み出してみてはどうか。そんな“どっちも”な生き方の人が、日本の人口の半数を占めるようになると、日本人の「幸せ度」が上がり、地方も加速的に活性化するのではないか、と提案します。

阪神阪急不動産の皆川さんは、共感ポイントが多く「地域を飛び回る仲間に入りたいです」と、笑顔で感想を述べます。「地域側の心情について知りたい」という質問に対して、山内さんは、『アンバサダー』事業のその後の話を語ります。この事業は10年くらい続けて、地方に通う人をどんどん増やしていく予定でした。しかし、あえなく1年で終了。地域の方に申し訳なく、「出入り禁止になるのではないか」と怖かった、と打ち明けます。しかし、今年になり、関わってきた方々から「施設のリニューアルの現場を見に来てほしい」「外からの意見がほしい」と、声がかかる事が何度もあり、とても嬉しかったそう。

住み込みや、長期に渡りその地域に関わり続けるのがベスト。ただ、足を運べなくても、繋がりを絶やさない事で、違う役割がある事を実感した山内さん。外からの視点を伝えたり、距離が遠いなりにできる事ができる。「興味はある」という姿勢を持ち続けておく事が大切。また、数年ごとの部署移動がある事に関しては、プライベートで薄く繋がっておく事で、巡り巡ってまた繋がれる事もある、と語ります。

三豊市の父母ヶ浜で、地域のネットワークを創りながら事業を展開する東邦レオの田中さんは、「ローカル目線で言うと、山内さんのような“関係人口陽キャ”は稀でありがたい」と、山内さんの魅力を語ります。
まちを訪れるきっかけは、「祭りで神輿を担ぐ要員」や「草刈り要員」だったりする。その“役割”のようなものを、企業目線でエンタメ要素を入れながらどう作っていくかが重要だ、と考えています。

『GAS STAND』を運営する白木さんは、オフィス街での開発について質問。山内さんは、夕方にビジネスパーソンが、“鎧を脱ぐ場所”になる場になれば理想なのではないか、と答えます。
東京と比較すると、関西の方は人と人との距離感が近い。淀屋橋でも梅田でも、鎧を脱いで井戸端会議できる場の必要性があるのでは、と話します。

今後、地方の地場産業を活性化させ、地域の雇用を作る事に取り組みたい、と考えている山内さん。多拠点生活の輪を広げるにも、地域の雇用を増やす事は必須になってきます。そんな活動を「一緒にしたい」と、思い浮かぶ人たちがいるとニンマリ。

思い描いてきた事を、持ち前の行動力やコミュニケーション力を生かし、形にしてきた山内さん、すでに妄想や構想が膨らんでいるようです。これまで大事に紡いできた人との関係や活動が、様々なところで繋がり、山内さんの活躍は、どんどん広がっていきそうですね!

【山内菜都海】
JR西日本 地域まちづくり本部 地域共生部 課長代理 / 一般社団法人リバブルシティ イニシアティブ 監事 / Work Design Lab パートナー

【略歴】
1983年- 東京生まれ・育ち。
2001年- 大学では、都市&暮らしデザイナーを志し、都市工学を学ぶ。
2005年- 大成建設 都市開発本部にて、ヘクタール単位の開発ばかりに携わる。
2011年- 東日本大震災直後に、名古屋転勤。地方に住みながらの市民まちづくりが、進むべき道だと開眼。
2014年- 神戸移住とともに、JR西日本不動産開発へ転職。高架下や駅ビル開発、市街地再開発等で、近畿・北陸・岡山・福岡等に関わる。
2021年- JR西日本 地域共生部の発足・着任とともに、ローカルエリアを駆け回るようになる。
「都市と地方をかきまぜる、関係人口への取り組み」
JR西日本グループ 地域共生取り組み
一般社団法人リバブルシティ イニシアティブ
Work Design Lab