2023年9月13日のハイパー縁側は、白樫政孝さんをゲストにお迎えしました!
テーマは「愛されている風景〜変わらないものと、変え続けるもの〜」
現在、剣菱酒造株式会社の社長をされている白樫さん。剣菱酒造は1505年に伊丹のあたりで創業し、今年でなんと518年目になります。長いだけあって、日本で一番失敗を繰り返している会社だと語ります。江戸時代に日本で初めて、運んでも腐らないお酒をつくったのだそう。そして、運べて飲みやすいお酒として全国に流通し、人気になりました。
その人気は、江戸で「けんびる」という流行語も生まれるほど。ですがその中、地震や凶作の影響・酒造統制の影響などで家が潰れてしまったり。また戊辰戦争時には、薩長に現在のお金で約2億円を拠出したものの、明治維新後にその話がなくなり、資金繰りが苦しく経営が傾いてしまったり。
そんなこんなで、オーナーとなる家は現在5軒目。今の白樫家に移ったのは、100年ちょっと前なのだそう。剣菱のお酒としてある特徴の一つが、味が変わらないという事。どんな料理が来ても70点の相性を出せるお酒をつくる事が、剣菱のコンセプトです。
この背景を調べていくと、江戸時代まで遡ります。理由は、剣菱酒造が「地酒メーカー」では無かったから。地酒の反対は何かというと「下り酒」。地元で売られている地酒に対し、江戸に売っていたお酒です。つまり、もとの商売が大きく違うのです。
地酒メーカーは大地主である事が多く、土地代替わりにお米をもらっていました。それを食べきれないので、お酒に変えて現金化していたのが始まりです。
一方、下り酒メーカーは江戸や上方の人口が多い大都市で、ビジネスをしようと参画します。すなわち、ある程度造る量が必要になります。そのため、大きな蔵を最初に作れる元手をもつ、違う商売をしていた人が参画するのだそうです。例えば菊正宗・白鶴は元々材木商、白鹿は桶屋さんなのだそう。
お米の買い方も違います。地酒メーカーは土地代としてもらうお米を使いますが、下り酒メーカーはその量では足りません。また神戸周辺ではあまりお米がとれないので、大阪の蔵屋敷に集まる日本中のお米から、良いものを指定していたそうです。そして、地酒の場合は地元でとれる食材が決まってくるので料理も決まってきます。なので、味を絞り込める。
一方、下り酒が行く江戸には、参勤交代で日本中から人もモノも集まります。誰が食べるかもどんな料理と合わせるかも分かりません。すなわち、どんな料理とも合うお酒でないと売れないという理由がありました。それでできたのが、剣菱の味。なので、「変える必要がない」と話します。
白樫さんは、「流行りのものを造っていないので非常に厳しい」とも話しますが、「両方やるとどちらも中途半端になってしまうので革新は捨てる」と、言い切ります。
家訓は「止まった時計でいろ」。味を変えるな、という方針をこの言葉で表現しています。流行や味の好みは変わり戻ってくるものだから、流行を追わずにお客さんが美味しいと言ってくれたものを守り続けていきます。
コロナ禍でも大変な事はありましたが、阪神・淡路大震災も、太平洋戦争も、戊辰戦争での裏切りも、織田信長による包囲も経験してきました。「それに比べたらましかもしれない」と笑います。
白樫さんが感じるのは、「長い歴史の中で剣菱酒造が家を潰した経験を通じて得たのは、経営者は常に賢いとは限らないので、アホでもできる経営方針をつくったのではないか」ということ。よくできているなと笑います。
“オーナー企業としてやるべき事”
売れるか売れないかはその時の流れがありますが、模倣はしにくいしやる事はすごくシンプル。何も考えずにやっていけば何とかなり、下手に自分のカラーを出せば失敗します。では変わらない方針の下で、経営者は一体何をするのか。それは、売れていなくても、我慢すること。これはオーナー企業としてやるべき事だと白樫さんは言います。
白樫さんは、大学生の頃には自分が家を継ぐ事に疑問を持っていたそう。自分は出来が悪いので、継いだらお客さまにも社員にも社会にも迷惑だし、プロの経営者を外から入れる方が良いのではと思っていました。
そんな中、ある酒蔵コンサートのイベントに参加し、約50の酒蔵のお酒の飲み比べをしました。その中で剣菱のお酒だけ、大きく味が違ったそう。その時に白樫さんは2つの事を思います。
一つは、「剣菱のお酒は売れていないだろうな」という事。もう一つは、「では、売れていなくても、味を変えない決断は誰が出来るんやろう」という事。
プロの経営者では、結果を出すために必ず売上を重視するからそれは難しいのではないかと考えます。でも自分が株主で経営者なら、売上が下がったとしても自分がカッコ悪いことさえ我慢すれば、なんとかなる。「それなら自分が経営者になっても面白いかな」と思い、継ぐと宣言したのだそう。
このように変わらないものを大事にしながらも、一方で、やる事は変わってきている気がすると白樫さんは続けます。古い酒造りを続けるために、やらないといけない事は増えてきています。
例えば、道具メーカーがなくなってしまったので、それを自分たちで作るために専用の木工所をつくって職人さんを呼んだり。また、酒樽を巻く太い藁縄をつくる人もいなくなってしまい、ビニールの縄になっています。剣菱ではそれはしたくないと、藁縄の製作機械を入手して修理できる人を探し、部品を自分たちで作り直しました。
現在、なんと日本で唯一の太い藁縄メーカーもしているのです!
白樫さんは、「樽も自分たちでつくるようになり、お祭り総合メーカーのようになってきた」と話します。古い酒造りをこの先やってみたいという酒蔵が出てきた時に、誰も造れない状態では話にならないので、自分たちが道具類の伝統文化をつないでいきたいと考えています。なので、日本中の酒蔵がお得意先で仲が良いそうです!
終盤には山崎小夜子さんが、酒造り唄の「風呂上がり唄」を会場で披露してくださいました!
最後に、白樫さんが思うこれからの風景についてお話してくれました。うちのお酒が解決していくべき問題は、社会的孤独をなくす事が一番。お酒を飲んでみんなが楽しんでいる風景をいかに残していくか。その風景こそ、つながりのスタートになると語ります。
また、企業としては自分達しか残せないものを次世代に残す事を目指しています。伝統は連続してやらないと残らない、切らしたらいけないもの。お酒の味・造り方・道具と、自分たちしか伝えられないものを残そう。日本酒業界の古典派を目指します、とお話されました!
変わらない魅力を守り続けるために、変わり続けて動き続ける剣菱酒造。白樫さんや剣菱酒造のもつ思いと取り組みにとても惹き込まれるお話でした!