2023年6月13日のハイパー縁側@中津は、ゼウスさんをゲストにお迎えしました!
テーマは 「大阪プロレスで、大阪から日本を盛り上げる!」

「元気ですかー?!」「元気でーす!!」では、みんなで「乾杯ー!」と、大盛り上がりの会場。ゼウスさんのTシャツを着た方、うちわやタオル持参のファンの姿も。「嬉しいなぁ」と、ゼウスさんがキュンポーズをして見せると、会場はさらに沸きます。

大阪プロレスの代表を務め、選手として試合にも出場しているゼウスさん。大阪市生野区のご出身で、物心ついた時から、「強くなりたい」と、プロレスラーに憧れていました。

テレビで『北斗の拳』を見た後は、触発され、腕立て伏せと腹筋を限界までしていたそう。戦う男に魅力を感じ、本能的に強くなりたかった、と言います。その気持ちは今も変わらず、パワーが溢れ出ていて、「気合いだけで生きてます!」と笑顔で語ります。

ゼウスさんは2006年に大阪プロレスに入団し、その年にデビューを果たしました。リングネームは自分で決めるのではなく、他の皆様から候補があがってきます。その中には「アシュラ」などの候補もあったそうですが、社長の「ゼウスでいこう、悪役に徹しろ」の一言で決定。

ファンを睨みつける悪役は始めの1年で終わり、ゼウスになって17年。ご両親からも、「ゼウス」と呼ばれているそう。

2014年、様々な事情があり大阪プロレスは解散することに。最終日、ファンの方が会場のエレベーターを降りたところで泣いていた、と言います。その方の手を握り、「俺が、いつか大阪プロレスやり直すから!」と、約束したゼウスさん。

その後、全日本プロレスに活動の場を移します。チャンピオンカーニバルという由緒ある試合にも出場。後楽園で潮崎選手との激戦の末、敗北します。しかし、試合に負けたにも関わらず、会場は「ゼーウス!ゼーウス!」と、ゼウスコールが鳴り止みませんでした。初めての経験だった、と語ります。

その晩、秋山準社長から「すごい試合だった」と言われますが、ゼウスさんは「相手がすごかったからです」と答えます。「それは、ゼウスの力が3では10の試合はできない、7とか8の力をもっていたからこそできた試合だ。全日本プロレスでレギュラー参戦してほしい」と、申し出があり、自分に自信をもち始めたと話します。

そして、5年で全日本プロレスでチャンピオンになることを固く誓ったゼウスさん。大阪プロレスの想いは一旦胸中に秘め、全日本プロレスで命がけで戦い続けます。他団体のオファーは全て断っていた、と言います。
そして2018年、ついに第61代3冠ヘビー級のチャンピオンベルトを手にします。

「大阪プロレスをやり直すから」と約束して、8年。2022年に大阪プロレスを再始動させます。会社の理念は、“人を幸せにする団体”。大阪プロレスを観た方・働いている方・応援してくださる方、みんなが幸せになること。
もちろん、幸せになるには、給料も必要だし、観る方が満足できる試合をしないといけない。ゼウスさんは、みんなが幸せになれる組織作りに励んでいます。

そんなゼウスさんの人生の大きな転換期は、20代後半。人生のどん底に落ちた、と振り返ります。立ち上がりたいと思っても、1人では立ち上がれませんでした。そんな時、たくさんの人が支えてくれ、「ゼウス!立て!立ち上がれ!」と手を握ってくれたそう。そのときに、色々なことが分かった、と言います。

暗闇から明るい所を見ると、よく見える。しかし、明るい所から暗闇を見ても、中はよく見えない。苦しい境遇を経験し、苦しい人の気持ちが分かるようになったゼウスさん。見えるものが変わり、みんなが幸せになれる世の中に貢献したい、日本の為に、世界の為に生きたい、と考えるようになりました。

“人の為に生きる”

華やかなパーティーでお酒を飲んでいる時も、世界では戦争が起こり、貧しくてご飯が食べられない子どもたちがいる。病気で苦しむ人も、悩みを抱えている人も、たくさんいる。その事を、胸のどこかにもったまま、過ごさなければならない。いっぱい笑って、いっぱい楽しんでもいい。ただ、「人の為に何かをしよう」「人を幸せにする何かをしよう」という気持ちを、常に忘れない。みんなが少しでも、そういう志をもって生きていけるようになれば、と話します。

日本一のエンターテーメント・日本一子どもたちのファンが多い団体を目指して旗揚げされた大阪プロレスは、社会貢献も大きなテーマとして掲げています。現在、大阪市北区と包括連携協定を結び、地域のゴミ拾い等を行っています。

また、車椅子の方々や児童養護施設の子どもたちを試合に招いたり、施設に遊びに行く活動を展開中。ただ、社会貢献なら何でもするというわけではありません。自分の利益の為に動く人には協力しない。心がある方と共にやりたい、と語ります。

北区の前田区長は、ゼウスさんの“人を幸せにする”という信念に共感し、波長が合ったと話します。大阪プロレスと組んだら面白いことができる、大阪プロレスの力を借りて、いかに北区のみなさんを幸せにできるか、ということに取り組んでいます。

ゴミ拾いに対する姿勢も、地味な仕事にも関わらず、大阪プロレスのメンバーは、嫌な顔ひとつしない。最後の最後までしっかりとやりきる一途な団体。そんな後ろ姿がファンを増やしていっているのでは、と感じています。今後は行政とタッグを組むことで、中之島の『こども本の森』の前での試合が実現できるかもしれない、と盛り上がりました。

自分で思い描いた事は絶対に実現できる、と言い切るゼウスさん。100才までの目標を既に考えているそう。まずは、2025年の大阪・関西万博で、試合を開催する計画が進行中です。

2029年の開業を見据え、IRの整備計画が進む大阪。この波に乗り、大阪プロレスが主体となるアリーナを作りたい、と語ります。『ゼウスアリーナ』と名付け、プロレスだけでなく、ボクシングやお笑いなど、365日イベントが開催している会場の設立を目指します。

大阪プロレスは現在、様々な場所で試合を行っています。ゼウスアリーナが完成して大阪プロレスのホームができたとしても、ホームでは月数回の試合にとどめ、現在お世話になっている場所に引き続き出向いて、試合を行っていきたいと話します。
大阪プロレスの力だけでは無理なので、みなさんの力と一緒に大きなものをつくりたい、と力強く語って下さいました!

“プロレスは人生そのもの”、と語るゼウスさん。プロレスを通じて培ってこられたパフォーマンス力、感謝の気持ちを忘れず、1人1人との関係を大切に紡ぎ続けてきた愛される人柄で、会場は常に一体感に包まれていました。

ブレないポリシーをもち、具体的な目標を掲げ、突き進むゼウスさんの力強い生き方と、優しい眼差しで丁寧な物腰が印象的でした!これから、大阪プロレス発信の幸せが広がり、日本がどのように盛り上がっていくのか、ますます楽しみです!

【ゼウス】
大阪プロレス株式会社 代表取締役社長
大阪市生野区出身、1982年1月27日生まれ。
ボディビル大阪クラス別チャンピオン、怪力コンテストで優勝などの経歴を持ち、2006年に大阪プロレスに入団。同年11月デビュー、ハッスルではボブ・サップに勝利。全日本プロレスの第61代三冠ヘビー級チャンピオン、チャンピオンカーニバル全勝優勝。
2022年度より大阪プロレス株式会社代表取締役社長に就任。
大阪プロレスで大阪から日本を盛り上げる為に、日々奮闘中!
大阪プロレス
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