2021年11月7日のハイパー縁側@新京極は、諸井誠一さんをゲストにお迎えしました!
テーマは、「映画はここから始まった」
新京極公園イベント2日目も気持ちの良い秋晴れの中、ハイパー縁側@新京極が始まりました!

「晴れ男です」と笑顔で話す諸井さん。現在、立誠自治連合会会長を務めています。
自治連の会長とは、「よろず相談所」と諸井会長は言います。今朝も、「煙がうちにきてかなわん」と、諸井会長に相談の電話がきたそう。その相談を行政に繋げたり、日常的に様々な相談に対応されています。

諸井会長は、「役職はいらない。人のお世話をするくらいのことはしたい。」と話します。
毎週土曜日は、「掃除に学ぶ会」の地方組織である「京都新洗組」の活動として、朝6時から木屋町界隈の掃除に参加。諸井会長は、新洗組の活動を8年間続けていますが、その他にも、町内や小学校の清掃活動もされています。

今年の夏、かつて番組小だった元立誠小学校の設立150年を記念して、冊子『映画はここから始まった』を作成されました。
貴重な写真や資料の整理整頓し、必要なものは博物館へ渡しながら、記録を作っておくことが最大の目的と、諸井会長は言います。

冊子にも詳しく掲載されていますが、京都が“日本映画発祥の地”と言われる歴史について教えて頂きました。

1985年、フランスのリュミエール兄弟が、映画装置であるシネマトグラフを発明。フランス留学経験のある稲畑勝太郎が、巨額を投じてシネマトグラフを日本に輸入し、試写実験を行いました。
その試写実験をした場所が、当時は京都電燈株式会社の庭で、現在の元立誠小学校の敷地内だったそうです。

電燈株式会社の中庭の塀を使い試写実験を繰り返しますが、電圧が違うことが原因で、何度も失敗を重ねます。
そして、試行錯誤した末になんとか上映にこぎつけ、大阪で初の映画興行と繋がったそうです。
その後、映画は大衆娯楽として発達していきました。

昭和30年代、諸井会長が子供の頃、まちを歩いていると当たり前のように役者さんや女優さんに出会ったと言います。
また、諸井会長のおうちが天ぷら屋を営んでいたこともあり、映画関係の方がたくさん訪れ、映画の招待券をもらう機会も多かったそう。

二本立ての映画を片っ端から観ていたと諸井会長。小学校の頃は、京都が“映画発祥の地”ということも知らず、たくさんの映画に触れていたそうです。
立誠校に関わるようになり、ここが“映画発祥の地”と知ってから、このことを伝えたい、残したいという想いが湧いてきました。

年に1回開催される「国民文化祭」で、“日本映画の父”と言われる牧野省三さんの映画を上映したいと強く思われました。
そこで、牧野省三さんの孫にあたる津川雅彦さんに「国民文化祭」に来てくださいと、直筆の手紙を書きます。
すると、「ノーギャラで行く」と快く来て下さいました。

また、山田洋次監督にも、「京都に来られたらぜひ立誠に来てほしい」と2年続けて手紙を書いたところ、会いに来てくれたそう。
「諸井さん!」と初対面に関わらず名前を呼んで下さった、と笑顔で話します。

“想いは、伝わる”

電話やFAXではなく、下手な字でも気持ちを込めて書いた手紙というのは、想いは伝わると諸井会長。津川雅彦さんや山田洋次監督との当時のやりとりを思い出しながら、熱く、感情を込めながら語って下さいました。

そこから本格的に、“映画発祥の地” “日本映画の原点の地”としての歴史を残して伝えていこう!と活動を進めてこられました。その一つとして、立誠校で無声映画の上映をされています。
無声映画に欠かせないのが、今では少し聞き慣れない弁士。上映中に傍で内容を解説する役割を担い、活動弁士(活弁)とも呼ばれます。

弁士は、声色を変え1人で何役もこなすそう。同じ作品でも弁士が変われば、ころっと雰囲気が変わりとても奥深いので、見る機会があればぜひ観てほしい!と諸井会長は話します。

また、外国人の役者がパントマイムのようなことをする無声映画を観て、コロコロ笑う小学生たち。その様子を見て、無声映画の魅力に気づいたと言います。無声映画がもっと身近になってほしいと考えています。

最後に、新京極公園でチャレンジしてみたいことを尋ねると、「この地域の方々がしたいことをバックアップしていきたい。」「みんなが楽しくなる場を作り、心の豊かさを保ちたい」と諸井会長は言います。

京都の映画文化の歴史を伝え、地域やまちの為に長年に渡り活動を続けてこられた諸井会長。
『映画はここから始まった』の冊子には、諸井会長の立誠のまちの歴史や未来に対する想いと願いがたくさんこめられているように感じます。
気持ちを込めて語って下さったお話を、たくさんの方々に伝えていきたいと思います!

【諸井 誠一(もろい まこと)】
日本映画の原点の地・立誠 委員長 / 立誠自治連合会 会長
京都市出身。
河原町商店街で35才から理事で専務理事を20年間。
BALの向かいで天ぷら専門店を83年間でやめる。
立誠自治会連合