2026年5月12日のハイパー縁側@中山台は、津田 光希さんをゲストにお迎えしました!
テーマは「夢色を現実に〜感謝で歩むパティシエール〜」
津田さんは、ここ中山台で生まれ育った生粋の地元っ子。現在、中山五月台の住宅街で、焼き菓子専門店「菓子屋mitsuki」を営んでいます。会場には、津田さんの友人や常連のお客様の姿も。地域の皆さんの温かい拍手に迎えられる中、津田さんのこれまでの歩みと、お菓子に込められた熱い想いを語っていただきます!
津田さんのパティシエとしての原点は、小学生の時に出会った1冊の漫画です。幼稚園の頃から、将来の夢にお菓子屋さんを挙げてはいたものの、漠然としたイメージに過ぎませんでした。しかし、小学5年生の時に友人の家で目にした、『夢色パティシエール』という作品が、彼女の運命を大きく変えることになります。
漫画を開いた瞬間、「キラキラして見えた」と、話す津田さん。特に、「パティシエール(女性の菓子職人)」いう言葉の響きに心を奪われたそう。お菓子の魅力はもちろん、専門的な道具や、職人の世界観に11歳の少女は強くときめき、漫画やアニメを繰り返し見るほどのめり込んでいきました。
中学時代は、吹奏楽部に打ち込んでいたので、お菓子作りに没頭することはありませんでしたが、漫画やアニメは何度も見返し、心の中の「パティシエール」への憧れが消えることはなかったと言います。目指すものがあった津田さんは、高校進学を考える時、パティシエの学科がある学校に行きたいと伝えると、ご両親や学校の先生は猛反対。「高校卒業してからでも、パティシエは目指せる」「広い選択肢を持っていてほしい」という親心からでした。
当時は、「なんで分かってくれないの?」という反発心もありましたが、最終的には普通科の高校への進学を選択します。普通科での高校生活を送る中でも、津田さんの決意は揺らぐことなく、卒業後はパティシエを目指せる専門学校へ進みます。
念願叶って大阪・梅田の調理製菓専門学校へ進学した津田さんは、同じ志を持つ仲間に囲まれ、充実した2年間を過ごします。技術を磨き、仲間と切磋琢磨する日々。そして卒業後、満を持してケーキ屋に就職しました。しかし、そこで待っていたのは、漫画のような華やかな世界とは正反対の「厳しい現実」でした。
お店のルールを理解しきれず、同じミスを繰り返しては怒られる毎日。「働く」ということの厳しさに直面しました。憧れが強かった分、理想と現実のギャップ、そして自分の至らなさや未熟さに打ちのめされた津田さんは、わずか2週間でケーキ屋を退職。「逃げるように辞めてしまった」という挫折感も味わい、お菓子作りへの道は一度ここで途絶えそうになります。
しばらくは、お菓子の世界に戻るのが怖かった、と打ち明ける津田さん。それでも「働くこと」から逃げるわけにはいかないと、パン屋での仕事をスタート。そこで出会った80代の女性オーナーから、仕事への向き合い方や生き方を教わり、少しずつ心の整理がついていきた、と語ります。
しかし、1年ほど勤めた時、世界中でコロナウイルスが蔓延。働いていたパン屋でも人員削減が行われ、津田さんは退職することに。パン作り・お菓子作りから離れたことで、「やっぱり、お菓子で生きていきたい」という抑えきれない思いが湧き上がってきたそう。自分にとっての「本当に大切なもの」は、「人を幸せにできるお菓子作り」だと確信しました。
決意した津田さんは、新たにパン屋でアルバイトをしながら、午後の時間をすべて自作のお菓子作りに充てる生活を始めます。朝5時に起きてパン屋へ出勤し、6時から15時まで勤務。帰宅後は、キッチンに立ちお菓子を作るストイックな日々。そこで、津田さんが活用したのがSNSでした。
コロナ禍で自宅時間が増加し、SNSを頻繁に利用する人が多いことに着目し、毎週のように自作のお菓子の写真をアップしました。試作を続けながら、「自分は何ができるだろう」「自分はどんなお菓子を作りたいのか」を自身に問い続け、自分と向き合う時間だった、と振り返ります。焼き菓子や生菓子など、様々なお菓子を作り、毎週発信することを繰り返すうちに、徐々に「いいね」やリツイートが増えていきました。
1年以上、お菓子作りと発信を続け、「これがやりたいのかも!」と、現在「菓子屋mitsuki」で販売しているバターケーキにたどり着いた津田さん。ワンカットで満足できる分厚いバターケーキは、シェアして楽しめる焼き菓子です。津田さんが焼き菓子にこだわるのは、「焼く」ことが好きだから。焼き方をちょっと変えたり工夫することで、生地の見せる表情が変化するところに魅力を感じている、と語ります。
そうして津田さんは、いよいよ販売への一歩を踏み出します。店舗を持たずとも、お菓子を作って販売できるシェアキッチンを探し出し、オンラインショップを開設。SNSで繋がっていたファンの方々や友人たちが、津田さんの挑戦を温かく支持してくれた、と言います。
初めてお菓子が売れた時、とても嬉しくて鮮明に覚えているのだとか。当初、店舗を構える予定はなかったのですが、シェアキッチンをレンタルするなら、自分で製造場所を確保できたらいいのでは、と少しづつ思いが募ってきた津田さん。宝塚市で空きテナントを探し始めます。
そして、生まれ育った中山五月台で、運命のテナントと出会います。アルバイトで貯めたお金を投資し、ついに拠点を構えました。最初の半年は、製造と発送と簡単な受け渡しのみでしたが、1年ほど前から店頭に商品を並べて販売するスタイルも取り入れています。
“このまちが、大好きだから”
人通りの多く集客が見込める駅前ではなく、中山五月台の住宅街を選んだのは、「このまちが、大好きだから」と、とびっきりの笑顔で話す津田さん。緑豊かで穏やかな空気、すれ違う時に挨拶が交わされる温かいコミュニティの中で、「自分のお菓子でみんなを幸せにしたい」「地域に還元したい」と、考えています。
常に自分の周りには、支え応援してくれる人がいてくれた。アドバイスは、全部自分のものにしたかった。「全てに感謝したい」と、津田さんは力強く語ります。両親の支えや、お父様の「自分のやりたいことをやるなら、勤めていてはできない」「オリジナルで勝負」という厳しくも愛のある助言も大きかった、と感じています。
そんな熱い想いをもって歩んできた津田さんのお店の看板商品『クレール デュンヌ』という三日月の厚焼きクッキーは、フランス語で「月の光」という意味。生地の配合や焼き加減にこだわり抜き、ひとつひとつ丁寧に焼き上げられています。津田さんは、「死んだ後も、このお菓子が宝塚の銘菓として残ってほしい」と壮大な未来を描いています。
最後に、津田さんから来場者の皆さんへサプライズでクッキーのプレゼントがありました。受け取った方々の「わあ、美味しそう!」という弾けるような笑顔。まさに、「お菓子でみんなを幸せにする」を体現している瞬間でした。
お菓子も抜群に美味しいけれど、津田さんの人柄に惹かれている、という常連のお客様の言葉も印象的でした。
「この先もずっと大好きな中山五月台で、営んでいきたい」と、まちへの愛情を込めて決意する津田さん。穏やかで優しい物腰とは裏腹に、揺るぎない覚悟と行動力を持ち合わせています。挫折を「逃げ」ではなく「自分探し」の糧に変え、大好きな地元で夢を形にしました。
「菓子屋mitsuki」は、中山台のまちを優しく照らす光のような存在で、地域の誇りになり、これからもたくさんの人々に幸せを運んでくれそうですね!
菓子屋 mitsuki ~焼菓子専門店~
中山台五月台に生まれ、幼少期にパティシエの漫画に魅了されて以来、お菓子作りの道を志す。
寝る間を惜しんで理想の味を追求した「二足のわらじ」時代。仕事が終わり、深夜までお菓子の試作に没頭する24時間体制の生活を3年間貫き通す。
他者の助言を力に変える「素直な感謝」と、理想を現実に変える圧倒的な執念で、SNSでファンとの信頼を築き、2024年に宝塚の地に自らの厨房を設立。
「美味しいお菓子を届け続けたい」という純粋な信念を挑戦の土台とし、大好きな街である宝塚での贈り物の定番となるべく、至高の焼き菓子を世に送り続ける。
菓子屋 mitsuki
