2025年1月8日のハイパー縁側@私市は、田邉耕三さんをゲストにお迎えしました!
テーマは 「駅前広場からまちの魅力発信〜キサイチゲート〜」

2025年、最初のハイパー縁側の会場は、交野市にあるブルワリー『CIVIC BREWERS(シビック・ブルワーズ)』。「交野おりひめ大学」と事業連携し、2024年にオープンしてから、地域の特産品や交野産ホップを生かし、様々なクラフトビールを醸造しています。ビールを通じて、コミュニティを作り出し、地域循環型のブルワリーを目指しています。

2年前にスタートした「キサイチゲート」は、地域の市民・事業者・団体が鉄道会社とコラボレーションして、私市駅前を中心にまちをつくる社会実験です。『CIVIC BREWERS』のクラフトビールを提供する駅前タップルーム・マルシェ・ワークショップ・トレイルランニング体験・焚き火を囲んでトークセッションなどを中心内容とし、季節に合わせたテーマで開催。回を重ねるごとに、他団体とコラボレーションをしたり、エリアを拡大して開催したりと、進化してきました。

そんな「キサイチゲート」の主担当者として尽力してきたのが、京阪電鉄株式会社に務める田邉さん。実は、田邉さん自身も交野市民であり、在住歴は25年。京都府福知山市出身で、山と川に囲まれ過ごした幼少期の経験から、「自然の中で子育てをしたい」と家を買う時に、京阪沿線の中でも田舎の路線を探していたそう。その時に出会ったのが、交野でした。

しかし、25年間交野市に住みながら、京阪に勤めながら、京阪交野線の終着駅である私市駅で下車した事は一度もなかった、と申し訳なさそうに打ち明けます。また、地元開催である「キサイチゲート」に対する想い入れも、当初はそれほどではなかったと言います。というのも2年前、初めて私市駅に降り立った時、まず大きな禁止看板と、車両の通行を制限する為の黄色のバリカーが目に入りました。そして、人気のない閑散とした景色が広がっていて「よっしゃ、やるぞ!」とは、とてもじゃないけど思えなかったと苦笑いします。

田邉さんのスイッチが入ったのは、2023年9月からスタートする「キサイチゲート」に向け、7月に私市駅前にホップを植えるイベントを開催した時。地域の子どもたちと、ホップのプランターに自由に絵を描くワークショップを行いました。

イベント終了後、私市駅前にアウトドアショップを構えて8年ほどの『Sotoaso(ソトアソ)』の代表である菊川さんら、実行委員のメンバーで立ち話をした、と言います。菊川さんは、「この広場をどうにかしたい!」という熱い想いを抱いていました。長年に渡り、側で見続けてきたからこそ抱く感情であり、京阪社員では、その想いを持つ事はできない。こういう風に考えてくれる人を大事にするべきだ、と田邉さんは強く感じたと振り返ります。

その後、「キサイチゲート」を始めるにあたって、私市区長や地域の方々と、積極的にコミュニケーションをとり始めた田邉さん。一般的に、線路沿いの住人から騒音などのクレームを受ける事が多い鉄道会社。しかし、私市区長は京阪や地域の事をとても大切に思っていて、好きでいてくれる人物でした。

そんな区長から、「見栄えが悪いので、駅前の看板を撤去してほしい」という要請があったそう。地域の要望で看板がついていたと思いきや、それを望んでない人もいる。いつの間にか、看板やバリカーがあるのが、当たり前の風景になっていた事に気づきます。

真ん中に歩道がある私市駅前広場。両側に木々が植えられ、歩道を歩き自然を感じながら駅に向かったり、山の方へ向かってほしいという想いが元々はあったのではないか、と田邉さんは考えています。危険な駐車をする車が増えたのか、いつからか、禁止看板やバリカーの必要性を感じ、設置されたと推測できる。

ただ、時代が変わりまちが変わっていく中で、再び変えていくべきではないか。今回、社会実験をきっかけに、看板とバリカーの撤去を決断。駅前の景色が大きく変わりました。すると、景色だけでなく風が通り抜け、“突破口が開けた感覚”があった、と田邉さんは語ります。

“通り過ぎる駅前広場から、地域の人々の交わりの場へ”

そして、「キサイチゲート」がスタートすると、電車に乗降する為の通り過ぎる駅前広場から、“地域の人々の交わりの場”や“新しい事にチャレンジする場”へと変貌を遂げます。また、地域の方々が生き生きと楽しんでいる風景は、私市駅に降り立った来訪者を温かく迎え入れる空気感を生んでいたのでは、と田邉さんは感じています。さらには、「このまちいいな」と、住んでくれる方が増えると、鉄道会社的にも交野市的にも嬉しい。今回の「キサイチゲート」の取り組みが、駅前広場の活用事例として波及していく事にも期待しています。

京阪の民有地である駅前広場。リーシングをして建物を建てた方が、収益を生む事ができる。しかし、そうではない選択をする事で、人々が交わり、私市らしい魅力が溢れ、愛される広場となりました。民有地であるがゆえに社会実験のハードルが低くなった面と、民有地でありながら地域のアイデアが集まる、という両面が揃う事でまちが変わっていく。新しい民有地の在り方が実現し、“見えない価値”が、見えてきた、と感じています。

私市に住み、毎回「キサイチゲート」で演奏を披露し、音楽の力で盛り上げ続けて下さった福力さん。「たくさんの仲間に出会えて、こんな楽しい時間はなかった!」と、笑顔で感想を述べます。「私もしてみたい」と、気軽に参加できる雰囲気があり、そんな人がどんどん増えている気がする、と生の声を聞かせて下さいました。

中地さんは、実行委員のメンバーとして運営に関わりながら、『green stone』の店主としてフェアトレード商品などの販売し、出店もしてきました。1年目は、マルシェプロデュースを担当。出店のお願いをし、出店者を集めましたが2年目から応募形式に変更しました。

前年から続いて出店する方と、新しい方が混じり合うようになり、さらに彩豊かなマルシェへ。中地さんは、運営に関わるのは面白さも学びもある。運営メンバーは、固定ではなく変わっていく事で、どんどん活性化していくのでは、と提案します。

「おりひめ大学」の学長で実行委員である篠崎さんは、12月の「キサイチゲート」では、自前のキッチンカーで出店。「率先して楽しみました!」と、運営側でも出店側でも楽しんできた、と笑顔で振り返ります。この2年間のうちで、意見の相違もあったけれど、それをきっかけに対話をして化学反応を起こし、次のステージに行ける気がする、と前向きに捉えています。

「キサイチゲート」に興味を持つ「おりひめ大学」のメンバーが集まり、今後の「キサイチゲート」を考える機会もあるのだとか。すでに、「クラフトゲート」と題して、手作りの雑貨を集めてはどうか、というアイデアが出てるそう。

最後に、田邉さんの2025年の抱負を発表。「キサイチゲート」に運営者としてではなく、出店者として参加して、また違う景色を見てみたい。そして、みんなで打ち上げをしたい、と笑顔で語って下さいました!

私市の人々のまっすぐな想いを、しっかり受け止める事のできる田邉さんの人柄や器量が、個性豊かで暖かい雰囲気の「キサイチゲート」を創り出す大きな力になっていました。看板とバンカーの撤去という目に見える変化が、人々の交わりや、私市の魅力発信を加速させ、2年間たくさんの笑顔を生み出してきました。
積み重ねてきた交わりは、次世代へ。バトンは引き継がれていき、新たな「キサイチゲート」へ繋がっていきます!

【田邉 耕三(たなべ こうぞう)】
交野市民 / 京阪電気鉄道株式会社
出身:京都府福知山市
こころまちつくろう 京阪グループ
キサイチゲート