2024年2月28日のハイパー縁側@中津は、伊藤 和真さんをゲストにお迎えしました!
テーマは 「地元にフルスイング!長浜リバイブ」

伊藤さんは、滋賀県長浜市で創業105年を迎える、材光工務店の4代目社長。「長浜は、とにかく遠い、北の僻地です」と、笑顔で説明します。2月のハイパー縁側では、寒さに震えながらトークするゲストも多い中、「ぜんぜん寒くないですね」と、長浜育ちの伊藤さんはジャケット姿でご登壇です。

高校まで長浜で過ごした後に、神奈川の大学へ進学。湘南ボーイとなり、建築を専攻しました。卒業後は、家業を継ぐ前に他所の会社で学びを得ようと、金沢の建設会社に就職。お父様の勧めもあり、お客様の顔・地元の顔・全体を見る力をつける為、大手ゼネコンではなく、中堅の地元会社を選択したと言います。

建設会社で仕事を始めた伊藤さんですが、当時の建設業界の労働時間を時給に換算すると、「何百円の世界だった」と打ち明けます。ホリエモンのような起業家が台頭し、「ビックマネー掴もうぜ」という世の中の風潮とはかけ離れている現実に、継ぐ事を迷う時期もあったそう。「絵描きさんになろうかなぁ」と考えた事もあるのだとか。紆余曲折ありながら、28才で地元に戻る決意をし、材光工務店へ入社します。

入社後、伊藤さんが与えられたのはどこの部署にも属さない「室長」というポジション。会社全体を見て、課題を掘り出しなさいというお父様からのメッセージだと今なら理解できますが、当時は仕事に向き合えず、真面目に働いていなかったと振り返ります。35才で社長に就任すると、「立場が人をつくる」と言われるように、そこから仕事への向き合い方がだんだんと変わっていったと語ります。

お父様は、お爺様が早くに他界されたので伊藤さんよりもさらに若い32才で社長に。就任当初は、売り上げが半減したりと苦労されました。その経験から、伊藤さんに若くして社長を譲り、早くから様々な能力を身につけてほしい、という想いがあったのではと伊藤さんは感じています。

工務店を営みながら、長浜を愛し、地域を盛り上げる事に全精力を注いでいたお父様は、まちづくり活動にも積極的に携わっていました。黒漆喰で歴史のある『第百三十国立銀行』の取り壊しが決まった事をきっかけに、長浜市と8社の地元企業が出資し、旧市街の古建築の保存と再生に取り掛かりました。

銀行を「黒壁ガラス館」としてオープンさせ、寂れた商店街や古い住宅をギャラリー・工房・レストランなどに再生し、情緒溢れる街並みへ。年間200万人前後の観光客が訪れる『黒壁スクエア』の誕生に尽力されました。この取り組みは全国から注目され、視察団が訪れたり、内閣府からの依頼で講演を行なう事もあったそう。

そんな強力なリーダーシップを持つお父様ですが、反面、社内はトップダウンになりがちな組織でした。伊藤さんは、社員が“自分で考える”という事に欠けているのではと感じていました。もっと、自分の意見を言ってほしい。そう思うのは、伊藤さん自身が人に言われて仕事をする事が好きじゃないから、と笑います。伊藤さんが社長になってから、社員が文句を言うようになった、と実感しています。

社内の風土が変わってきた中で、今、できる事は何だろう、と思案中の伊藤さん。お父様が自分たちの手でまちづくりをし、長浜を元気なまちに復活させたのは、30年以上前。じゃあ、今、自分のするべき事は何か。建設会社だからこそできる事は何か。地元を活性化する何かをしたい、と考えていた伊藤さんが、西田社長と出会います。

伊藤さんは、建設だけでなく、中津のまちを活性化させている西田ビルや、中津ブルワリーの物語に感銘を受けたと言います。60年近く中津に佇む西田ビルと同じように、100年以上長浜で商売を営む材光工務店。長年続けているからこそ生まれる“社会的責任”を感じています。だからこそ、語れる言葉ややるべき事があるのではないか。建設の仕事だけでなく、地域をより活性化するような、西田社長が取り組んでいるような事にこれからの建設会社はチャレンジしていかなければならない、と話します。

西田ビルの半地下空間の駐車場をリノベーションし行っているハイパー縁側。会社なのか、店なのか、まちなのか、“グレーな場所”だと伊藤さんは指摘します。また、今日のように雑談から急にトークセッションが始まる事がよくあるハイパー縁側は、トーク自体も非常に曖昧。そんな“曖昧空間”が大切なのではないか、と感じています。

“曖昧空間から生まれる”

材光工務店は建設会社だから、建物を建てて、利益を生んでなんぼ。また、100年続いてるという自負もある。それはそうだけれど、そうじゃない住民としての顔もある。そこに、地元ではない「人」や「もの」や「考え」がかけ合わさる。すると、“曖昧空間”が生まれ、その中で自分のミッションが見えてくるのではないか、と考えています。

長浜の方は、県外に出たがる人が少なく縁が深いそう。一方、他地域で学んだり、働いたり、人との関係を作ってきた伊藤さん。また、老舗の工務店に生まれ、長浜の歴史や文化にも精通している。“お前がやらなくて誰がやる”と、自身で“使命”のようなものを感じている、と言います。誰かが変化を起こさないと、まちは変わらないと力強く語ります。

長浜は人口が減少傾向で、建設投資もたくさんない。大阪や東京の都市で事業を行った方が儲かるかもしれない。しかし、伊藤さんは地元で続ける、と言い切ります。なぜなら“使命”を感じているから。自分が住んでいる地域が元気がなくなり衰退してしまうのは、“痛み”を感じると言います。それがモチベーションになっています。

現在は黒壁エリアが長浜観光の定番となり、頼りきりになってしまっています。長浜駅は、琵琶湖まで徒歩3分の好立地。滋賀県の財産である琵琶湖や、伊吹山を活かしながら、山・湖・まちが繋がるような事業を起こし、新しいロケットを飛ばしたいと意気込みます。現在25才の森さんと伊藤さんの2人で、新規事業部を立ち上げ、様々な事をインプットする為に活動中です。

と、ここで、中津ブルワリーの醸造家である鈴木さんが、社内実業家となり、まちに根ざした新規事業を立ち上げた話を紹介して下さいました。

東邦レオに入社し、緑化事業に携わっていた鈴木さん。森さんと同じ25才の時に突然、社長から呼び出され、「ビールを作りながら、地域活性化する」と言う指令が。ビール好きの鈴木さんですが、ビール醸造の知識はなく、ゼロからのスタート。何も生み出せない辛い期間が長かった、と言います。しかし、自分なりに分からない回答を考えて動き、最初の歯車が回り出した瞬間に、「社会の為に動けている」「社会に影響を残せた」と実感したそう。社長の舵取りや社内の応援ムードに感謝している、と語ります。鈴木さんのビールが賞を受賞した時は、会社だけでなく中津の“まち”が喜んだそう。

材光工務店が歩んできた道のりは、とてつもなく長い。歴史があるからこそ、思い込みや呪縛があるのではないか、と伊藤さんは言います。森さんには、そこを一旦置いといて色々な事に興味をもち、「こんなん面白いんちゃいます」と次々と提案して欲しい、と森さんへの想いを語ります。

西田社長、鈴木さん、そして、中津のまちに刺激を受けた伊藤さんと森さん。これから、長浜に新たな変化をもたらし、住んでいる人が誇りを持ち、“いいまちだ”、と胸をはれるようなまちにしていきたいと語って下さいました!
これから、長浜のまちにどんな変化が生まれるのか、楽しみです!

【伊藤 和真(いとう かずま)】
株式会社材光工務店 代表取締役
▼滋賀県長浜市出身。
平成26年社長に就任。4代目社長。
▼株式会社材光工務店
創業1918年(大正7年)。
滋賀県を中心に建設業(民間企業、公共施設)を行っている。
同グループ滋賀不動産と連携し、デベロッパー事業に取り組んでいる。
株式会社材光工務店
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