2023年11月8日のハイパー縁側は、円満字洋介さんをゲストにお迎えしました!
テーマは「建築探偵のはがきスケッチ実演」
円満字さんはもともと大阪の豊中生まれ、尼崎育ちです。大学は京都工芸繊維大学へ行き、それからは京都にずっとお住まいです。
大学を卒業してからは、京都の中堅設計事務所に入りましたが、5年でその会社が潰れてしまいます。会社が無くなってしまったので、分譲マンションの管理組合の運営などをするマンション管理コンサル事務所に行きました。
その後、神戸の震災があって5年ぐらい被災地の支援をしていると、会社がボランティア倒産してしまったそう。「私が関わるとまた5年以内に倒産してしまった」と笑います。それを機に、独立する気持ちもなかったそうですが独立し、現在20数年になります。
円満字さんがされているのは古い建築の修理。現代の修理・再生の概念は、ちょっと新しくして、古いものを取り入れたみたいなものが多くなりがちだと話します。円満字さんは古いものの状態で、どこを直したの?と言われるぐらいが一番理想だと話します。ちゃんと修理をして、補強もして、それでも使い勝手も良くなってというのが理想です。
今まで修理で関わってきた場所の一つが、京都にある本野精吾邸。コンクリートブロックの大正時代の建築家の自邸の修理を5年かけて行いました。その後、大倉三郎という建築家が監修した木造の教会の修理を5年しました。円満字さんが実際に修理した案件はこの2つで、これまでに100件ほど、実測調査や歴史調査など修理に至るまでの過程をお仕事として請けています。
円満字さんはもともと近代建築オタクで、特に明治以降の洋風建築が好きだそう。今は古民家も大好きですし、現代建築で西田ビルのような名建築も大好きですと話します。
例えば、西田ビルの外壁に飛び出している梁。梁の上に梁が乗っている特殊な構造です。普通は梁同士の面が合う、同じ高さになるはずですが、梁の上に梁が乗るのは、すごく難しいことだそうです。
なぜしているかというと、日本建築をイメージしているから。日本建築は、梁の上にまた梁を上へ上へ積んでいく作り方をしています。丹下健三など、当時の建築家はみんなそれをやっていて、西田ビルでも同じ事をしていました。
同じような造りの建物は色々あるけれども、ここはものすごく自然にそれが納まっていて、非常に心地いいと円満字さんは称賛します。
またもう一つが、縁側横の吊り階段。上から吊っているのは吊り橋と一緒で、それが階段になっているという、モダニズム建築の中でも本当に高等技能というべきもの。ものすごく珍しいし、やってもなかなかうまくいかないそうです。鉄骨屋さん泣かせのつくりですが、職人芸の極みでもあると話します。
現在円満字さんは、はがきの大きさの紙でスケッチをする、はがきスケッチ教室もいろいろなところで開催していて、兵庫県養父市や京都・枚方でも教室をされています。ハイパー縁側でも、円満字さんのスケッチをいくつか紹介してくださいました!
学生さんへのスケッチ講義の際は100人ぐらいの生徒がいて、皆で1時間程で1枚のはがきスケッチを描いて持ってきてもらい、全員分を投影しながら講評、一言コメントをしていくそう。
そうすると、スケッチは概ね2つのタイプに分かれると話します。
一つは端から端まで描く人。これは細かく書いていくので、やっていけばだんだん凄味が出てくるそう。もう一つは、円満字さんご自身と似た、省略するタイプの人。好きなところだけ書いて、あとはもう書かない、余白が多い絵になります。
なぜその2つなのかというのはよく分からないそうですが、何か持って生まれた個性みたいなもので、その個性の相互移行はないと思うと話します。
そして実は第3グループという、どちらにもはまらないタイプがあるそう。絵としてはその第3グループが一番面白いと話します。第3グループの人達は、建築を描く際にドローンで飛ばさないと見えないような、屋根を上から見たような絵を描いたりするのだそう。
絵というのは理解したものを描くので、上から見た絵になって良いんだけれども、ただそれが無自覚に出てくるというのはやはり第3グループとなるそう。第3グループの人達は100人いたら4〜5人はいて、しかもその4〜5人の絵はそれぞれ全く似ていないとの事。
絵を描く事に慣れていないのは他のみんなと一緒だけれども、描いているものも何か普通と違うものを選んでくるし、描き方もだし、第3グループはちょっとぶっ飛んでいるところがおもしろいと話します。
特に第3グループは、絵が下手などと悪く言われ続けている子が多いような印象があるそう。なので、円満字さんはその人たちには「うまくなろうとか、つまらない事を考えずに、面白いからこのままいけ!」と言うのだそう。
“スケッチは、存在証明”
そして、スケッチの実演もしてくださいました!スケッチは、風景画とも違うもの。円満字さんの師匠が言っていた事ですが、これは存在証明だといいます。今、中津のハイパー縁側にいる時にする絵のメモ、絵日記みたいなものです。スケッチをするとその中にその時の自分の気持ちや様子、特に温度とか、そういったものもこもります。
それは後から見た時に自分でも思い出すし、逆にその場にいなかった人がそのスケッチを見て様々な事を感じる、そういうものです。だから、上手いとか下手とかつまらない事にこだわらずに、絵日記感覚でメモを書けばいいんだと師匠から教えてもらったそう。
スケッチをする際、円満字さんのような省略タイプの人は、20分ぐらいで一面描くのが基本形です。端から端まで描く人は、時間的に倍ぐらいかかるそう。40分ぐらいで描けますが、そういう人に大きなスケッチブックを渡すと、3時間、4時間と描いてしまいます。それはそれで凄いですが、日常的に描くことを考えるといくら粘っても40分以上描けないので、はがきがちょうどいいサイズなのだそう。
話題は、スケッチをしているここ中津の話へと移ります。中津には商店街がありその周り一帯が丸々、借家街が残っています。大阪の環状線沿いには、そういった地域が幾つかありますが、今どんどん無くなっていっています。
「大家や地主を支援するような制度もないし、結局それは私有財産なので自分達で何とかせぇという事なのですが、その商店街周りの独特の雰囲気が残っているからこその“風景”を見ながら、今後どうなっていくかを注意深く見守っている」と話します。
また、「阪急中津駅は登録文化財級なんです」と円満字さんは言います。駅の下の大衆食堂も含め、昭和の趣が残る場所が大阪は多かったのですが、梅田周辺はここ10年〜20年程でそういった場所がどんどん無くなっています。
駅の改札を入ったところに、昭和初期のタイルが残っているのも、ものすごく良いポイント。中津エリアはそういうぎりぎりのところで時が流れていて、そんな古い所が良いという人たちが集まってきているので、古いものを全部残す必要はないですが、一掃するのではなく、何らかの形で古いものも残っていて、新しいものも入れていく、そういう風になったらうまいこといくのでは、と円満字さんは感じています。
実際に全て残る事はないですが、もし残そうとしている人がいれば、その応援をしたいという円満字さん。「何の応援もなく頑張ってきて力尽きて終わり、ではなく、何か僕らでもできることはあると思う」とお話されました!
スケッチの実演ももちろんながら、建築探偵の視点から、西田ビルや中津の魅力や可能性を聞く事で新たな発見がたくさんありました。
この街の未来の風景も楽しみになるお話でした!
修復建築家
1960年大阪府生まれ。
古い建物を修理するかたわら建築探偵として、近代建築のガイドブック著作や町歩きガイドなどの活動を行う。11月の京都モダン建築祭2023では4コースのガイドを担当。はがきスケッチ教室を兵庫県養父市、京都市、大阪府枚方市で有料開催中。
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