2023年10月15日のハイパー縁側@私市は、杉山岳彦さんをゲストにお迎えしました!
テーマは 「こころまち つくろう〜私市駅前から、京阪沿線が交わる・つながる〜」

杉山さんは、キサイチゲートの事業主体者である京阪ホールディングスに勤務し、24年目になります。京阪のスローガンは、“こころまち つくろう”。京阪沿線の駅の看板や、ポスターにも記されているこのスローガンには、「心が通い合うまちをつくろう」「京阪が提供するサービスを、心待ちにされる会社になろう」という想いがこもっているそう。

「まさに、キサイチゲートが体現している」と、話す杉山さん。「いきなり結論みたいになってしまいました」と、笑います。本日は京阪グループの上司の方々も駆けつけ、面接を彷彿させる状況に苦笑いしながら、京阪のスローガン「こころまち つくろう!」の掛け声で乾杯し、スタートです!

杉山さんは、お父様の仕事の関係で、転園・転校を繰り返す子ども時代を過ごしてきました。京阪に入社し、会社の寮に入るのが10回目の引っ越しだった、と言います。ローカル鉄道会社を選択したのは、転勤がない事と「駅に行けば、お客様の顔が見えるから」と、理由を語ります。

もし、大きな商社に勤め、自分が携わる商品やサービスを地球の反対側でお客様が触れていても、体感する事ができない。一方、365日営業していている駅は、常にお客様の存在が身近にある。そこに魅力を感じ、鉄道会社に入社した杉山さんは、中でも鉄道会社が運営する不動産事業に興味があり、不動産の開発に従事し続けています。

大学では経営学を学び、「なぜ鉄道会社が、鉄道事業以外にホテルやレジャー・不動産事業など幅広く経営するのか」というテーマで研究。幅広く経営する理由の1つに、電車利用者を増やす事があげられます。京阪はレジャー施設『ひらかたパーク』を運営していますが、「本当に電車利用者の増加に繋がっているのか?」と杉山さんは疑念を抱き、定量的に検証しました。

すると、不動産事業に関しては、通勤・通学で電車の利用は確実に増加していましたが、レジャー事業に関してはそうではなかった、と言います。そこで、電車利用者が確実に増える不動産事業に携わりたい、と手を挙げ、ニュータウン開発や企業誘致などを担当してきました。

不動産事業に長らく関わってきた杉山さんですが、京阪の所有地である私市駅前広場については、キサイチゲートの話がでるまで詳しく知らなかったそう。以前から地域では、この好立地の場所を使わないのは「もったいない」という声が上がっていて、杉山さんも実際にそう感じました。

ただ、駅の客から推測すると、採算が合わないので駅ビルを建てるという発想にはならない。このキサイチゲートのような場を作る事が、不動産事業会社としてのあるべき姿だ、と考えています。

というのも、杉山さんの学生時代の研究で以下の4つの理由のどれかに当てはまれば、鉄道以外の事業を始める経営判断をしていたのでは、と推測していました。
「①.レジャー施設でイベントなどを開催し、電車利用者を増やす」
「②.鉄道の利便性を上げる投資(鉄道を敷くなど)をし、周辺の土地の価値を上げ、不動産事業を行う」
「③.少子高齢化で電車利用者が減るので、鉄道以外の収益源を確保する事業を作る」
「④.シナジー効果を生む(流通事業であるスーパー経営から、コンビニや百貨店経営へ派生するなど)」

しかし、自身が実際に京阪で働き、時代も変化していく中で、の4つだけでは経営判断が難しいのではないか、と感じていた杉山さん。今回のキサイチゲートを行うにあたっては、新しい5つ目の理由と合致した、と言います。
それは「⑤.駅から始まる持続可能なまちづくり」。

“駅から始まる持続可能なまちづくり”

私市駅は、他駅には見られない面白い光景が見られる、と杉山さんは指摘します。毎朝、私市の住民は、出勤や通学で京都や大阪方面に向かう。逆に、ハイキングやトレランなど、自然でのアクティビティを楽しむ方は私市に向かう。朝から、一方向ではなく両方向の動きがあり、人の入れ替わりがある事が大きな特徴です。そこで、その人々が“行き交う場”を作る事が大切で、地域に住んでいる方・訪れる方が交わる“拠点づくり”が必要だ、という想いを持っていました。

今までは、駅ビルを建設して終わり、というような開発の仕方、つまり京阪側が一方的なサービスを提供し満足していた、と振り返ります。そうではなく、地域の方が主体者として、地域に関わる人々のニーズに答えるような“場”を作る事で、持続可能性のあるものになっていく。そして、最終的に電車利用者も増えるのではないか、と考えています。

今回のキサイチゲートでは、地域の会社が提案するトレランイベントや、地域の方のアイデアでマルシェが出店され、地域の方々によるパフォーマンスが行われていました。杉山さんは、“地域が作り出すサービスにこそ、価値がある”と感じています。京阪としては、駅という最大の経営資源を生かしながら、そんな地域のアイデアを汲み取り、一緒にまちづくりに取り組んでいきたいと語ります。

私市駅は、『近畿の駅100選』に選ばれていて、特徴的な三角屋根は山小屋をイメージしています。1929年に枚方〜私市間を結ぶ京阪交野線が開通。6年後の2029年はちょうど100周年を迎えます。

「100周年はぜひ、キサイチゲートからアクションしましょう!」と、杉山さんは意気込みます。また、私市駅をスタートに、乗り換えのお客様が多い京阪河内森駅・JR河内磐船駅へのつながりをもって、JR沿線とつながり、そして大阪府下全域へとつながっていくイメージを持っています。

大阪府は、『大阪のまちづくりグランドデザイン』を策定し、2050年に向けて、交野市や四條畷市などに位置する自然資源『府民の森』を活かしたまちづくりに取り組んでいます。京阪グループも同じく、2050年に向けて「世界に誇れる京阪になろう」「美しい京阪沿線を作ろう」という経営ビジョンを策定。

そこで、大阪府と京阪にとって、キープレイスになるのが私市。今回、京阪が交野市民や行政とキサイチゲートを盛り上げてきました。加えて、大阪府が中心となり、ここから府民と共に府全体を盛り上げていく、という未来を見据えています。

京阪交野線100周年を迎える6年後は、大学進学を機に交野を出た子たちが帰ってきて、「やっぱり交野線がいいよね、私市がいいよね」と実感する子たちに「そやろ」と、京阪社員として笑顔で話す自分に会いたい、と語る杉山さん。その為にも、キサイチゲートでたくさん思い出を作ってほしい、と言います。

杉山さんと共に京阪に所属し、キサイチゲート開催に向けて尽力してきた田邊さんは、交野市在住歴23年。「僕がやらないと!」と人一倍、力を込めて取り組んできたそう。キサイチゲートを、みんなが関わりたいと思ってもらえるようなものにし、仲間を増やして発展系を育てていきたい。「6年かけたら、大概の事はできる」と、力強く語ります。

お2人は、キサイチゲートを開催するにあたり、近隣の方々に挨拶周りをした際、「この場所を、ぜひ盛り上げてほしい」と、前向きに暖かく受け入れてくれた事が嬉かったと口を揃えます。

また、「梅田へ出るのに、JRさんやメトロさんじゃなく、京阪渡辺橋駅から歩いて下さいよ!」と、訴える杉山さんに拍手がおこり、「京阪は、我々の血管」「京阪バスも利用しています」と、口々に“京阪愛”を感じる言葉が飛び交い、大盛り上がり。鉄道サービス提供者と、利用者の心が通い合う瞬間でした。

立場の違いを越え、それぞれの想いや考えに触れるきっかけとなったキサイチゲート。私市駅前で紡がれた“交わり・つながり”は、交野線に乗り、京阪本線へつながっていきます。交野のブルワリーで造るビールも、交野から本線へと進出していきたい、という話も出て実現に向け走り出します。

京阪のスローガン“こころまちつくろう”という気持ちを、地域の方々と共有できた事で、暖かい“こころまち”に近づいていく可能性を感じ、この想いが私市から日本中へ、全世界へ広がっていくのが楽しみですね!

【杉山 岳彦(すぎやま たけひこ)】
京阪ホールディングス株式会社 経営企画室 事業推進担当 課長
1974年、三重県松阪市生まれ。
父親の仕事で、高知・新潟・三重・大分・三重・岐阜と、幼稚園2園・小学校4校を転々。
その影響からか大学も横浜・神戸と2校で過ごし、2000年に人生10回目の引っ越しで、転勤の無いローカル会社(京阪電気鉄道)へ入社。入社理由は、「駅に行けば、お客さまの顔を見ることができるから」。
入社前の修士論文テーマは「大手私鉄企業の多角化戦略」。
鉄道会社って、なぜ鉄道事業だけでなく、不動産・スーパーマーケット・百貨店・コンビニ・ホテル・遊園地など、いろんな事業に手を出すのだろう?を勉強していました。
入社3年目からの2年5ヶ月間の京阪園芸でのガーデニングショップ立ち上げ・運営以外は、不動産開発事業に従事。京阪東ローズタウン(松井山手)でのニュータウン開発・淀にある鉄道車庫用地での物流施設(京阪淀ロジスティクスヤード)開発・近江舞子でのグランピング施設(エバーグレイズ琵琶湖)開発・けいはんな学術研究都市での企業誘致などを担当。
開発における絶対必要条件である「地域にお住まいの方々の理解・納得」を得る仕事に、入社以来ずっと携わっています。
京阪ホールディングス株式会社
キサイチゲート