2023年10月13日のハイパー縁側@淀屋橋は、小川流水さんをゲストにお迎えしました!
テーマは 「御堂筋の変遷〜100年続く珈琲から語る御堂筋の歴史〜」
お着物がとてもお似合いの小川さん。迫力のある鎧と共にご登壇。鎧を作る会社は、日本に鹿児島と京都、1社ずつしかないそうで、2010年に小川さんは鹿児島の会社に発注し、身体に合わせたオーダーメイドの鎧を作ってもらいました。
400年ほど前、城下町として栄え、武士のまちだった大阪。ハイパー縁側を行っている「GUS STAND」の近くにある御霊神社では、武者行列と船渡御が行われていた、と言います。江戸時代から続いていましたが、明治維新をきっかけに途切れてしまいます。その後、武者行列は開催された年もありましたが、船渡御に関しては、行われることはありませんでした。
その船渡御を含む武者行列が、2011年に約150年ぶりに復活。発起人となったのが、本日のゲストの小川さんです。2009年にプロジェクトチームを結成し、仲間とお金を集め、準備を進めていきます。2年の準備期間を経て、2011年から2014年の4回、5〜60人の鎧武者を含む200名ほどが列をなして、武者行列と船渡御を行いました。
『大阪城甲冑隊』のメンバーが、紙で作った自前の甲冑をまとい参加してくれたり、大阪ガスの弓道部の方々も参加してくれた、と話します。その際、「自分が身にまとう鎧は、自前のものがいい」と、本日お持ちいただいた鎧を購入したという小川さん。本物の鋼で作られた鎧は20キロの重さ。真夏の日の朝9時から19時まで鎧を着用して行列に参加すると、鎧の表面温度は触れる事のできない熱さになります。
「1日で5キロやせました」と、苦笑い。しかし、1回行うのに約1千万円を費やす武者行列。残念ながら、4年間で資金がショートしてしまい、現在は行われていません。ノウハウはお伝えするので、どなたか発起人となり、「もう1回復活してほしい」と、強く願っています。
そんな小川さんは、創業1921年・御堂筋で102年続く珈琲店の3代目店主。「本業にあまり熱が入ってないんです」と、笑います。普段は剣士を名乗り、剣術師範を務め、愛日会館で剣術教室を開いています。
剣士である小川さんは、御霊神社の武者行列が復活する前、武者行列の代わりに、神社で奉納演舞を行う役割を担っていました。10日間かけ、500本の技を奉納します。すると、宮司さんが、「世の中に御霊神社の存在を示したい、武者行列を復活したい」と熱い想いを語ってくれたそう。莫大な費用がかかる事もあり、最初は冗談だと感じていましたが、何度も口にする宮司さんの本気の想いを受け取った小川さん。周りに声をかけ、仲間を集め始めます。
徐々に仲間とお金が集まり、気がつけばお船を借りる事ができるまでに。3隻のお船を借りるには、車が買えるくらいのお金が必要ですが、何とかクリア。また、交通課・地域課・公安課と、警察の3つの部署の許可が必要で、書類を揃えるのも大変な作業でしたがそこも乗り越え、「ほんまにやる気があったら、できるもんやな」と実感した、と語ります。
武者行列の復活は数々のハードルがあり、簡単なものではありませんでした。しかし、復活に漕ぎ着けたのは、小川さんの動機が“楽しい”だったから。義務感で動いていたら、投げ出していた、と言います。「いっぺん鎧を着て、堂々とまちを歩いてみたかった」と、清々しく語る小川さん。人が集まってきて、写真を撮られ、「スターになった気分だった」と、笑顔で振り返ります。遊びだから本気になれる。もちろん、しんどい事もあるけれど、クリアする楽しさがある、と語ります。
小川さんは、「船場県人」と言われるほど地元の小・中・高に通った原住民。このまちの歴史や変化を肌で感じてきました。小川さんが大学生の頃、芦屋や西宮方面の住宅開発が進み、そちらに移住する人も多く、平成7年に中央区の人口が1番落ち込みました。その後、タワマンが次々に建設され、人口が爆発的に増加傾向へ。人口は増えたけれど、なかなか地域との繋がりができていないのではないか、と小川さんは感じています。
この地域には、古い神社が数カ所あり、毎年祭りが開催されています。祭りがあると、驚くほど人が集まるそう。夜店でビールを飲むだけでなく、実際に中に入り、行事に参加してはどうか、と小川さんは言います。
昔から続く地域の大きな祭りは、少し閉鎖的。祇園祭にしろ、天神祭にしろ、氏子でなければ当事者としての参加は難しい。一方、武者行列は手を挙げたら誰でも参加できます。
「祭りに関わると大変」というイメージを持っている人が多いけれど、クラブ活動のノリで気軽に参加してほしい、義務感はいらない。「しっかり関わりたい」でも「できるところだけ」でもいい。それぞれ温度差が違う人が集まって、初めて祭りができる、と考えています。
“ワクワクするサードプレイス”
カフェや居酒屋がサードプレイスである様に、「GUS STAND」を、サードプレイスと捉えている小川さん。職場と家の往復だけでなく、ちょっと寄り道できる場があると、気持ちが楽になる。祭りなどの地域活動も、そのような場であるべきで、義務感を持たずに参加できる、ワクワクするサードプレイスの整備が必要だと感じています。
昔は、ちょっと寄り道をする風習があったと小川さんは言います。戦前は、この地域にも映画館や寄席があったそう。もっと遡れば、御霊神社には人形浄瑠璃を上演する文楽座もありました。「予約して高いチケット代を払って落語をみる」ではなく、「飲みに行く前に時間あるし、ちょっと落語一席聴いていこか」という楽しみ方がある。
小川さんの珈琲店でも、定休日に落語を聴ける場にしていた事も。また、近くには気軽に落語を楽しめるライブハウスもあるそう。小川さんもそこで歴史講談の講座を受け持ち、テーマに沿った歴史の話をしています。探せば、地域には面白い課外活動や地域活動が溢れている、寄り道を楽しもう、と提案します。
SNSのない時代に生きてきて、繁華街を歩き廻ってきた小川さん。嗅覚が働き、「この辺りに、いい店ある」とだいたい分かる、と言います。様々なテーマを自分で作ったり、自分で情報を取りにいく。すると、ライブの情報に手応えを感じる事ができる。スマホが導き出す「優等生の答え」ではない、「意外な答え」を楽しむ事ができます。
それは、情報に関してだけでなく、人との関係でも言える事。スマホやSNSを上手に活用しながらも、コアな部分は実際に会って話して、熱意を感じたり伝えたりする事は大切だ、と考えています。
人生を楽しくするには、リスクをとらないといけない。怖いかもしれないけれど、勇気を出して突破口を開くと、新しい景色が見える。「いつでも逃げられるから」と、力強くアドバイスします。「首突っ込んでダメなら、引っ込めたらしまい」と、笑う小川さんの姿が印象的でした。小川さん自身は60代後半にさしかかり、何か始めるというよりは、「飄々とフラフラと楽しみたい」と、穏やかな笑顔で語って下さいました。
御堂筋の古地図をたくさんお持ちで、古地図マニアでもある小川さん。次回は、古地図と今回きけなかった珈琲のお話を是非!歴史に詳しく、色々な角度からまちを見守り、人生経験豊かな小川さんの次回のご登壇も楽しみです!