2022年9月30日のハイパー縁側@中津は、増谷 朋恵さんをゲストにお迎えしました!
テーマは、「ブリコラージュ〜“作る”と“作らない”の間に〜」

大阪市大正区で、祖父が開いた家具工房を姉弟で継ぐ増谷さん。現在は家具を作る工場を移転し、築70年の元工房を「ブリコラージュ」という名前で、事務所やギャラリースペースとして活用しています。増谷さんは、家具の設計やデザインを担当。また、ギャラリーの運営や、イベントを企画・開催しています。

小さい頃の遊び場は、おじいちゃんの家具工房でした。木の香りに包まれ、ものづくりをすぐ身近に感じながら育ちます。ストーブを炊くために集められた端材で、金槌を使い自由に工作したり、木材を運ぶ台車を乗り廻していたそう。「かなり、お上品な幼少期でした」と、笑います。

「ブリコラージュ」は、フランス語で「日曜大工」。建築士として勤めた後、家具の世界に戻ってこられたお父様は、フランスの文化人類学者レヴィ・ストロースの『野生の思考』という本に感銘を受けます。その著書の中でレヴィ・ストロースは、未開社会の人々の創造や智慧のことを「ブリコラージュ」と提唱しました。
ただ単なる「日曜大工」の意味ではなく、「その場にあるあり合わせのもので、新しいものを創造する」ということ。

「これからの時代は、ブリコラージュや!」と感化されたお父様。こもって設計したり、図面を描くのではなく、“開かれた場”を作りたいと考えます。そこで、少し広めの事務所を借りて家具などを展示し始めたことが、現在の「ブリコラージュ」のスタートだった、と言います。

日常から凝り固まったことを少し崩すことが「ブリコラージュ」と言えるのではないか、と増谷さん。例えば、冷蔵庫の残り物で、食事を作ることなど。「ブリコラージュ」は、身のまわりのもので必要なものを作ったり、全く新しい用途を発見し、元々の意味を超えたりする知恵だ、と増谷さんは捉え、そこにあるものを生かすことが“豊かなこと”だと考えています。

「ブリコラージュ」という場を通して人が繋がり、一緒に仕事を始めたり、楽しめていることが嬉しい。「ブリコラージュ」という名前をつけて空間を開いたことで、出会うことができなかったような人たちに出会うことができていると、笑顔で話します。

「ブリコラージュ」の意味を知れば知るほど、奥が深い。「ブリコラージュ」という看板を掲げているからには、「ブリコラージュの精神」を大切に頑張らないと、と思い返すことが多いと話します。

「家具屋の孫として育ちますが、基本的に家具は作れないんです」打ち明ける増谷さん。不器用で気を抜くと、金槌やノコギリですぐ手を切っちゃうそう。私のような人間がいることで、誰でも近寄りやすくなっているのではないか、と増谷さんは言います。先日の椅子作りのワークショップでも、釘が曲がっているのを必死で隠しながら事なきを得た、と笑います。

“「伝える」をデザインする”

増谷さんは「作る人がしないこと、できないこと」に取り組んでいると話します。そのひとつが、“伝える”をデザインするということ。自分たちは、木でものを作る仕事をしているのだから、もっと“伝えること”をやっていきたい、と常々感じていた増谷さん。

昨年の秋、木工作家の賀來さんや増谷さんの建築士の旦那様、腕のいい家具職人さん、計6人で「キトヒトラボ」の活動を開始。大阪の木材を使い、木工作品を作るワークショップを開催したりしています。今回のトークセッションの舞台となっている木の屋台も、「キトヒトラボ」の賀來さんのプロダクトだそう。10分ほどで組み立てられる「ヒノキヤタイ」は、様々なイベントで活躍中です。

近年は、家具に限らず服など様々なものがどこからともなくやってくるという感覚で、ものの成り立ちを考えることがどんどん無くなっている、と増谷さんは言います。“作って使う”という選択肢があってもいいのでは、と考えています。

先日は、子ども食堂の椅子をみんなで作るワークショップを開催。少し難しい作業もありましたが、熱中する子どももいたそう。地域材で、みんなが使う椅子を作るという体験の共有から、ものへの“愛着”が生まれていくと、増谷さんは言います。この楽しさを、もっと知ってほしい。ものを簡単に捨てることもなくなり、ものを買う時の基準も変わる、と指摘します。

遠くからエネルギーとコストをかけて運んでくる、外国の木材は高騰しています。また、気候変動のニュースもよく耳にします。大阪は平野が広がり市街地も多いですが、3割が森林で林業に関わる人がいて、木材を製材する工場もあります。このような状況で、大阪の木を使って何かをしたい、というのは自然な流れなのではないか、意味があることではないか、と増谷さんは語ります。

そんな増谷さんですが、もともと家業を継ぐ気は全くありませんでした。「おしゃれでかっこいいものを作るアーティストになりたい」「京都の大学に通いたい」という思いがあり、京都の芸大に進学します。そこで、デザインの基礎や、興味のあった手工芸について学びます。しかし、手工芸担当の先生と反りが合わず、写真部に逃げ込んだそう。暗室で現像するプロセスにのめり込み、写真部の現代アート専攻の先生に師事することに。写真の技術を使った空間アート作品を作ったり、友人とグループ展をしたりする大学生活でした。

卒業後は、個展で知り合った人を伝にフランスへ。語学学校に通いながら、知人のアーティスト活動を手伝い、半年間を過ごしたそう。一旦帰国し、1年後に展覧会を開く為にフランスに戻りますが、思うようにいかず、現代美術については挫折を味わったと話します。

と、ここでタイムアップ。まだまだ聞き足りないので、配信を一旦止めた後も、増谷さんとのトークセッションは続きました!

「ブリコラージュは、“きっかけ空間”やなぁ」と言われたことがあり、この言葉を大切にしている増谷さん。様々な人やものを受け入れてきたことで、今のブリコラージュがある、全部がよかった、と語る姿が印象的でした。
大学、フランス苦行時代のおもしろ話をききたい方、どのように家具の道に進まれたか気になる方は、増谷さんに会いにぜひ「ブリコラージュ」へ!

【増谷 朋恵(マスタニ トモエ)】
株式会社ブリコラージュ デザイナー
祖父が開いた大阪下町の家具工場で、家具職人に混じって金槌を手に木端で工作をして過ごすという、ものづくりがすぐそばにある環境で育つ。
1998年 京都造形芸術大学(現:京都芸術大学)芸術学部 情報デザイン学科修了。
2002年より家業であるブリコラージュに所属し、兄弟3人で3代目を継ぎ現在に至る。
家具の設計やデザインを担当する傍ら、本業以外にさまざまな人と繋がる場として、旧工房を改修したギャラリースペースでのイベント企画・運営も不定期に開催。
これを機に、ポスターやパンフレット、パッケージなどグラフィックデザインも手がけるようにもなる。
2021年秋より、大阪産の木材を通して森と町と人をつなぎものづくりを伝える活動「キトヒトラボ。」を木工家仲間と始動、
マルシェ型イベント「きっかけ市」や木工ワークショップを開催している。
株式会社ブリコラージュ
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