2022年6月30日のハイパー縁側@中津は、池田 佳世子さんをゲストにお迎えしました!
テーマは、「フリーランス編集長としてのお仕事」

岡山県の北西部にある新見市ご出身の池田さん。田んぼと山と川に囲まれて、幼少期を過ごしました。当時は、「田舎やな〜」と感じていた地元。今は、自然豊かでいい場所だと実感していて、お盆とお正月は必ず帰省するそう。お盆には、庭に寝転んで、流星群を眺めるのが、とっておきの癒しの時間と話します。

そんな新見市で高校生まで育った池田さんは、デザインに興味をもち、芸大への進学を希望します。岡山には芸大が少なかったので、関西の大学へ。大学では、グラフィックデザインや広告デザインを専攻しました。ウェブと紙媒体の過渡期だった為、パソコンを使いデザインの勉強をすると同時に、紙を使いイラストや漫画の勉強もしていたと話します。

卒業後は、三ノ宮の新聞広告の会社で働き始めました。しかし、手取りが12万円で生活は厳しかった、と打ち明けます。今から20年ほど前、時代は就職氷河期。この時期に、自分が興味のあるデザイン系の仕事に就けたのだから頑張りなさいと、両親にも応援され続けることに。

そこで、新卒で働き始めたその年の夏から、お金を少しでも稼ぐ為、副業をスタートさせます。平日は、仕事終わりに居酒屋で朝方までアルバイトをし、2時間睡眠で仕事へ向かいます。さらに、週末は違う仕事をかけもちしていました。
社会人を始めてすぐに、2つ以上の仕事をすることに当たり前の感覚をもった池田さん。「常に、3股が続いている状況だった」と、笑います。お金も欲しい、色々な経験もしたい、成長もしたい、アグレッシブな20代だったと振り返ります。

しかし、寝不足から遅刻をすることもしばしば。また、怒らせたらダメな人を怒らせたり、社長と喧嘩したり、勤務態度は良くはなく、クビを宣告されたことも。そんな池田さんは、2003年から2017年の14年間の間に、30回もの転職を繰り返したと言います。

「面接大好き、就職活動得意です!」と、数々の面接を経験してきた池田さん。転職を繰り返す度に、次は大人しくしとこう、と決意しますが、そうはいかず。いつかは独立したいと考えながら、転職を重ね、スキルや経験を積んでいきました。
ただ、「これでやっていく!」という軸を見つけられず、自信をもつことができないので、なかなか独立には踏み切れなかったそうです。

そんな20代を過ごし、30代になった池田さんには、仕事を辞めると決める2つの基準がありました。1つ目は、あと1年この会社にいて自分は成長できているのか。2つ目は、この会社に貢献できているのか。この2つにバツがついたら、転職することにしていたと言います。

2つの基準に照らし合わせて、会社員を続けていた池田さんですが、30代後半にさしかかると、この基準が通用しなくなってきたことに気づきます。携わる案件も楽しく、成長も実感し、会社に貢献もできているのに、でも、会社にいられないと感じ始めます。
「会社員でいることが、本当にもう無理なのかも」と、思った池田さん。37才の時に勤めていた会社で、3回目のクビを宣告され、それをきっかけに腹を括ったと話します。

“独立宣言”

ついに、「転職活動をやめよう」と決めた池田さんは、2018年にフリーランスに転身。SNSで独立を宣言すると、税理士の友人が開業届けを出してくれました。デザインだけでもない、ライティングだけでもない、何をやっていくか決まってなかったので、屋号はなしにした、と話します。

会社員になり間も無く副業を開始していたので、今思えば「最初からフリーランス状態だったかも」と、笑います。手取りが12万円だったことで、会社が自分の人生を保証してくれないことに早々と気づけたことが大きかった、と振り返り、会社のルールを守って貧しくなるよりは、ルールを破って少しでも豊かになった方がいい、と池田さんは考えます。

そして、フリーランスになってからは、不安でありながらも、働きやすさを感じていて、気持ちの抑圧は軽減されたそう。しかし、だからと言って早くからフリーランスの道を選ぶべきだったとは思わない。今までの経験は、全て必要だったと語ります。

例えば、ライティングをする上でも、世の中には幸せになりたくない人もいるという視点をもち、全方位に配慮して書くように意識しています。様々な状況の人がいて、“良いも悪いもない”ということに気がついた、と池田さんは言います。

もともと仕事は、“何をするかより、誰とするか”が大切だと考えていた池田さんですが、フリーランスとして仕事を始めた頃は、仕事を選べる状況ではありませんでした。舞い込む仕事を何でもかんでもして、ダメージを受けていたと話します。
現在は、自分が一緒に仕事をしたい人と、目の前に困っている人を助ける為に何でもするという姿勢で取り組んでいます。SNSに関するディレクション、イベントのマネジメント、本のデザインや編集などなど、仕事内容は広範囲にわたります。

そこで、自分の力では無理だと思ったら、人を呼んでくると池田さん。「困っていたら、奇跡のようにサポートしてくれる人が現れるんです」と話します。会社員時代から、勉強会に積極的に参加したり、イベントスタッフとして活動していた池田さんは、独立時には既に様々な繋がりができていました。横のつながりが重要で、色々な人を巻き込みながら、フリーランスを続けています。

今、仕事の転換期と話す池田さん。大枠を決める仕事が得意なので、ディレクターやプロデューサーのような仕事を意識的に増やしていきたい、と抱負を教えて下さいました!

明るく軽快に話す池田さんに勇気をもらい、参加者の方々からもたくさんの質問や感想が飛び交いました!
固定概念や先入観に囚われず、広い視野をもつ池田さん。様々な経験を重ね、然るべき時にフリーランスになった池田さんだからこそ、世のため人のために、ますます活躍されていく姿が楽しみです!

【池田 佳世子】
フリーランス編集長
1980年岡山県生まれ。
芸大卒業後、新聞社系の広告代理店にてDTPオペレータとしてキャリアをスタートし、グラフィックデザイン、広告デザイン、Webデザイン、Webディレクションと、主に広告&マーケ畑にてキャリアを形成。
それと平行していまほど「パラレルキャリア」が一般的でなかった2003年(新卒)から、あらゆる業種・業界においての複業も開始する。関わった組織はおよそ30社以上。その経験からオリジナルなポジションとキャラクターを確立。
2014年からは会社員の傍ら、個人事業としてインタビューやコラム執筆などのライティング業も開始。
2018年よりフリーランスに。
現在は、執筆、編集、取材、Webメディア運営、ワークショップづくり、イベント運営、企業研修、新規事業サポート、プロジェクトマネジメントなど、何屋だかわからない感じで稼働中。
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