2022年3月17日のハイパー縁側@中津は、松村史邦さんをゲストにお迎えしました!
テーマは、「すぐに引っ越しておいでよって言う楽園がないなら作ったらええんちゃうか」。
「ここのブルワリーのビールを飲んでほしくて、たくさん声をかけました!」と話す松村さん。寒空の下、大勢の方が集まって下さり、ビールを片手にワイワイとハイパー縁側が始まります!

園田(そのだ)は、「中津から2駅行った普通電車しか停まらない、派手じゃない場所」と、松村さん。園田に生まれ育ち、現在も園田にて社会福祉NPO法人『サニーサイド』の代表を務め、セミナー講師やシェアハウスの運営など、活動は多岐にわたります。

「松村さんは、園田から出ない」と周りの人に言われるそうですが、海外で暮らしたいと思ったことはあるとの事。10代の頃、日本の文化や同調圧力などに疲弊して、生きづらさを感じていました。

そこで、高校2年生の時に2ヶ月間、カナダ留学を経験します。まず、家の形からして違う、もちろん、暮らし方も違う。多様な人々が住んでいて、“日本の常識は、世界の常識ではない”ことに気づきます。この体験は、人生の中のターニングポイントのひとつだった、と松村さんは振り返ります。

そんな松村さんですが、ハイヒールを履いて大きなビルでバリバリと働くキャリアウーマンに憧れ、ガス会社でOLとして働いていた時期もありました。しかし、興味のない話題に相槌を打たないといけないその場所は、すぐに自分には合わないと感じます。
OLが向いてないなと考えていた頃、9・11アメリカ同時多発テロが勃発。「日常の中で、こんなショッキングなことが起こるなんて・・・」と、不思議な気持ちでぼーっとテレビを眺めていました。

その時、友人から「どうしよう?何ができる?」とメールが届いたそう。このメールとテレビの映像がとても衝撃的で、これがふたつ目のターニングポイントだった、と松村さんは振り返ります。
アメリカという国のこと、世界情勢や戦争のこと、自分の仕事のこと、悶々と感じていた松村さんは、「何かしなあかん」と思い、OLの仕事に終止符をうちます。ちょうど、そのタイミングで、福祉の仕事の誘いが来て、福祉の世界に入ることを決意しました。

9・11をきっかけに、松村さんはアフガニスタンの難民支援に携わったり、障がい者の方と作業をし、クッキー販売の活動などを行ってきました。その時に、生産性が云々よりも“生きているだけでいい” “呼吸しているだけでいい”と感じ、ホッと安心したそうです。彼らと居ると楽しいし、違いが面白いし、暮らしやすい、と思ったと語ります。

松村さんは、障がい者の支援をしているつもりはないと言います。みんなできること、できないことがある。だから、“人の支援”という言葉にはピンとくるけど、“障がい者の支援”という言葉にはピンとこないと話します。

また、福祉は真面目で重たい分野に捉えがちなので、真面目にはやりたくないと考えています。取り組むと取り込まれることもあるので、それぞれができる範囲で、できることをしてみることが大事。みんながちょっと動けば、何かしら世の中がグッと変わるかもしれない。そして何より、楽しんでやりたいと笑顔で話します。

記憶に残してほしい、と『幸せの国ブータン』のお話を聞かせて下さいました。
日本人は「もっと儲かりますように」「合格しますように」と、基本的に自分のことを祈ります。しかし、ブータンの人々は毎日のお祈りで、「自分以外の人全員が幸せになりますように」と祈るそうです。

自分で自分のことを祈れば「1」だけれど、みんなが自分以外の人のことを祈ると、ブータン中の人々が自分の事を祈ってくれることになるので、すごい量になります。そこから松村さんは、知人から教えられた“おにぎり交換”の話を連想します。人の為におにぎりを2個握って交換すると、人が握ってくれたおにぎりが食べられる。自分の為におにぎりを握るのと同じ労力で、人が握ってくれたおにぎりを食べることが出来る。だから、幸せが倍になる。
交換するからこその豊かさを感じ、この考え方をとても大切にしています。

“人は、出逢うべくして出逢う”

松村さんの師匠に教えてもらった、大好きな言葉を紹介して下さいました。“人間は、一生のうちに逢うべき人に必ず逢える。しかも、一瞬早すぎず、一瞬遅すぎない時に。”

「今日、このハイパー縁側でも初めまして同士の人がいれば、もうそれは出逢うべくして出逢っている」と、言い切ります。
松村さんは様々な活動をしていますが、出逢いを紡ぎながら今までやってこれた、と語ります。活動の動機は、人との出逢いや近しい人とのやりとりからで、“出逢いから未来を創っている”と実感しています。

本日のテーマでもある「引っ越しておいでよ」という考えに至ったのは、毎日みんなで家に集まって色々な活動をし、毎晩疲れて帰っていたという状況からでした。「それじゃあ、もう園田に住んじゃえ」ということがスタートだったそう。“活動しながら、みんなで暮らす”というスタンスで、とても楽しいと話します。

松村さんの理想は、暮らしと仕事と活動と友達が緩やかに繋がっていて、困っていたら助け合い、しんどかったら休んで生きていくことだ、と話します。
本日の会場にも園田に引っ越して暮らしている方も来場していました。偶然にも、同じ新潟県から園田に引っ越して来た方がいたことも判明!「まさに、出逢うべくときに出逢った!」と盛り上がりました。

「前向きで明るい松村さん、落ち込むときはありますか?」という質問に対しては、「どうやったら落ち込まなくなるか考える」と回答。改善欲求が強いので、心理学を勉強したり、本を読んだりしていると話します。また、「よく寝ること!」とシンプルでポジティブな解決方法も教えて下さいました。

会場には高校生も来ていて、「感情の赴くままに走る松村さんを真似したい」「安心できる言葉をくれたり、お互いに学び合っていると言ってくれるのが嬉しい」などの感想をきかせてくれました。
“人と関わると幸せが増える”という松村さんの笑顔と言葉が印象的で、心がとても暖かくなるハイパー縁側でした!

【松村 史邦(まつむら しほ)】
NPO法人サニーサイド 理事長
20代のころ(飲み会ばかり)または、(まじめな学習会ばかり)参加している若者を見て、自分はどっちかは嫌だなぁと感じ、社会人サークルTT21を立ち上げる。
のちに難民問題と出会い支援団体RAFIQの立ち上げに関わる。
シェアハウス楽都 → 現在「いまここハウス」
口癖は「園田に引っ越しておいでよ」
サニーサイドで、対人援助職につき、組織改革の必要性を感じ、組織を運営をする中で、「話を聴かない、会議がうまくいかない」といった課題を解決するため、様々な学習実践を繰り返す。
組織改革を担っていた経験を活かし、コーチング・ファシリテーションを教えるようになる。
「だれかになんとかしてもらおう」よりも、自分たちで切り拓くことの面白さを一緒につくっていってくれる仲間たちとコミュニティスペースhinataを運営中。
地域でネットワークしながら勉強会や、ワークショップ、ミニイベントを開催中♪♪
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