2024年9月28日のハイパー縁側@天満橋は、牧野 美保さんをゲストにお迎えしました!
テーマは 「立たない立ち飲み?!同じ目線で交流できる場を創り続ける車椅子女子の思い」

本日は、いつものハイパー縁側@天満橋の会場を飛び出し、毎年賑わいをみせる『うまいもんと伏見の酒まつり』とのコラボレーション企画で、角打ちスタイルの「立たない立ち飲みバル」を開催。人々が行き交う天満橋駅の駅前広場で、車椅子体験をしながら、日本酒やお酒に合う食事を楽しむ事ができます。「みほちゃーん!」と団扇持参の牧野さんファンの声援と、美味しい香りが漂う中、スタートです!

牧野さんは、5才の時に玄関で転倒した事をきっかけに、病気が発覚。だんだん足が痺れ、立てなくなってしまい病院へ行くと「横断性脊髄炎」と診断されます。股関節から下の感覚がなくなり、歩く事も立つ事もできず、車椅子生活を余儀なくされましたが、幼かった牧野さんはすぐに車椅子を乗りこなしたそう。歩いていた記憶がないので、車椅子での生活が普通で、基本的には車椅子でどこにでも行ける、と明るく話します。

小・中学校は、エレベーター設備のない地元の公立校に通っていました。吹奏楽部に入り、クラリネットを演奏したり、友達との楽しい思い出はたくさんあるけれど、不便を感じる事もあったと打ち明けます。牧野さんの在籍クラスは1階でしたが、4階の音楽室などへの移動は必須で、階段昇降機を利用していました。安全の為だとは分かっているけれど、スピードがかなりゆっくりで、休み時間が移動だけで終わっていたと言います。また、誰かの手助けなしには、階の移動ができない状況でした。

そんな経験から、高校を選ぶ時の条件は「エレベーターの設備」がマスト。実際に、エレベーターのある高校生活を送ると、自分が行きたい時に、行きたい所へ行ける。「エレベーターがあるって、こんなに自由なんだ!」と、感激したそう。牧野さんは、お子さん連れのベビーカーの方も同じ悩みを抱えているのでは、と指摘します。エレベーターがなかったり、あっても遠い場所だったり、探して移動するのにとても苦労する、と実感を込めて語ります。

高校卒業後は、京都の大学へ進学。4年間のうちに1人暮らしや、アルバイトにもチャレンジし、自分の幅が広がったと振り返ります。特に、アパレルのアルバイトがとても楽しかった、と言います。理系の大学だったので、周りの友人達はメーカーなどを就職先に選ぶ中、牧野さんはお客様の笑顔に触れる事ができる接客の仕事に就きたい、と考えていました。しかし、就職活動の時期になり販売や営業ができる就職先を希望していた牧野さんは、大きな壁にぶち当たります。

販売の仕事に応募した時、バックヤードが狭いなど、職場がバリアフリーでない現実を目の当たりにします。「環境的に難しい」と、断られる事の繰り返し。そもそも、書類で通らない事も。そんな中で、牧野さんが1番辛い気持ちになったのが、「車椅子の人を雇用した事がないから」「前例がないから」という言葉を突きつけられた時。「それなら、私が1人目になります!」と言いたかった、と悔しそうに話します。

販売の仕事を目指したのは、「人と話すのが好きだから」という動機だけでなく、「車椅子でも接客もできるよ」「こんな人もいるよ」と、アピールしたいという想いがあったから、と語ります。事務職など、職種を選ばなければ採用はあったそう。しかし、「車椅子だったら、この仕事」と決められている社会的な風潮に違和感を抱いていた牧野さん。「自分のやりたい事をやりたい!」と強い想いを持ち、就活を続けていきます。数々の不採用を乗り越え、ついにブライダルジュエリー販売の内定を手に入れます。

予想通り、お客様と接する仕事はとても楽しく、充実した生活でした。また、高価な商品を扱っている事もあり、お客様に座ってもらい接客するので、目線を合わせて話す事ができるのも嬉しかった、と言います。ところが、1年ほど働いて退職。希望の職に就くまでに、かなりの苦労があった分、接客業に就く事がゴールになっていたかも、と分析します。

満足して次の職探しを始めた牧野さんは、「車椅子=事務職は、嫌だ!」という、自分自身が固定概念に囚われていた事に気づきます。「やってみた事ないんだし、やってみよう!」と考えを転換。避けていた事務職に就くと、土日休みというのも魅力的で、自分の仕事のスキルが上がった事も実感できた、と話します。

10年間続けてきた事務の仕事。30才を超えた頃から「事務の仕事は、自分じゃなくてもできるのではないか」「私にしかできない事があるんじゃないか」と、悩み始めます。ちょうどコロナ禍という事も重なり、自分とじっくりと向き合った牧野さん。切っても切り離せないのが、自分が車椅子ユーザーだという事。

「自分みたいな、車椅子ユーザーがいるんだよ」ってみんなに知ってもらったらどうか、と少しずつSNSで発信を始めます。「車椅子で、こんな所に行けるよ」と、自分の日常を発信すると、すぐに反応が返ってきたそう。「これは価値がある!」と確信した牧野さんは、発信活動に力を注いでいきます。

“誰かの一歩になる”

一般的に、車椅子での生活は大変だというイメージを持つ人が多い。また、急に車椅子生活を強いられて落ち込む人や、車椅子での生活を不便に感じている人もたくさんいる。しかし、自分にとっては、“車椅子生活が当たり前”という感覚。この感覚自体に価値があり、強みとして活かせるのではないか。「ぜんぜん普通やで」と、笑顔で言える自分の存在がある事で、“誰かの一歩”になるんじゃないか、と感じたと語ります。

インフルエンサーとして発信を始めて、牧野さんの人生はガラっと変わりました。人脈が広がり、仕事のオファーも舞い込むように。ユニバーサルツアーのPRなど、車椅子にまつわる仕事に携わっています。やはり、車椅子ユーザーの気持ちは、車椅子ユーザーでないと分からない。

ユニバーサルデザインでスロープが作られても、いざ車椅子で利用すると、傾斜が急すぎるという事も。利用者と話し合ったり、その身になって作り上げる事が重要だ、と牧野さんは提案します。また、自身の経験から、障がい者の仕事の選択肢の幅を広げたい、と「障がい者の働き方改革」にも取り組んでいます。

そんな様々な活動を展開する牧野さんが始めたのが、「立たない立ち飲みバル」。初めましての人と肩を寄せ合い、話が弾む立ち飲み屋さんの雰囲気が大好きな牧野さん。普段の生活圏内から飛び出し、新しい人と自然と出会えるのも、立ち飲みの魅力。

車椅子ユーザーにも、そんな立ち飲みの良さを味わってもらいたい。それなら、車椅子ユーザーもそうでない人も、全員同じ目線になれたら楽しいんじゃないか、という発想から、全員が車椅子に座ってお酒を楽しむ「立たない立ち飲みバル」が誕生します。

協力してくれるお店やスタッフ・友人にも恵まれ、「立たない立ち飲みバル」を実現すると、初めて車椅子に乗る人は、最初は操作に戸惑いますが、どんどん使いこなすように。車椅子の体験をする事で、車椅子ユーザーの目線や気持ちになってもらう事ができる。まちで車椅子の方を見かけた時に、体験した事を少しでも思い出してもらえるきっかけになれば、と牧野さんは考えています。「立たない立ち飲みバル」を通じて、車椅子が1つのコミュニケーションツールとして、裾野が広がっている感覚を持っています。

また、当初はお客さんとして来店していた車椅子の大学生が、「私もスタッフになれますか?」と、スタッフとして働く事になった事も。その子の挑戦を応援し、働ける場を提供できた事がとても嬉しかった、と言います。障がいの種類や程度は人それぞれ。できる事・できない事がある中で、お互い協力し合いチームで仕事を回していきます。“環境は、人の気持ちで創る事ができる”と、牧野さんは語ります。

「車椅子だから、できないよね」と思われたくない。それは、「子どもだから」「おじさんだから」「女性だから」も同じ。1人1人が違うという認識をもち、先入観や固定概念に囚われない事が大切だ、と牧野さんは力強く訴えます。

「人に恵まれている」と、笑顔で何度も口にし、感謝しながら挑戦を続ける牧野さん。明るく前向きな人柄は、これからも笑顔と感謝の連鎖を紡いでいきます。様々な経験を通じて自分の強みを見出し、柔軟な発想力と思いやりで、たくさんの人を惹きつける姿が印象的でした!

【牧野 美保(まきの みほ)】
車椅子女子
1988年8月28日生まれ。大阪府吹田市出身。
5歳から横断性脊髄炎により車椅子生活。
就職活動の時に車椅子で働く職場や職域が限られていることを感じ、2021年からSNSや、イベント企画、講演などで発信活動を開始。
現在、「障害者の働き方改革」を軸に、テレワークに特化した転職支援やレストラン接客、観光事業PRなどパラレルワークを実践中。
「立たない立ち飲みバル」では、健常者も障害者も全員車椅子に乗って交流する機会を創り、同じ目線でのコミュニケーションの価値を伝え続けている。
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