2024年5月25日のハイパー縁側@私市は、岸本 玲子さんをゲストにお迎えしました!
テーマは 「“女たちよ野生へ還れ”が映画になる!」

現在、交野市で助産院を営む岸本さん。妊婦検診後、自転車に飛び乗り、私市駅前のキサイチゲートに駆けつけて下さいました!
岸本さんが助産師を志したきっかけは、幼少期に遡ります。6年生の時に、ご両親が離婚。専業主婦だったお母様は、必死で職を探して、岸本さんを育ててきました。そこで、「手に職は必要だよ」「看護師なってたら、こんな苦労しなかった」と、お母様自身の体験を岸本さんに言い聞かせてこられたそう。中学生になる頃には、必然的に将来の夢は看護師になっていた、と言います。

看護師になる為の勉強は楽しかった、と思い返す岸本さん。しかし当時は、「医師ありきの看護師」という風潮があり、看護師の意見や考えは蔑ろにされている、と感じていました。そんな時に、助産師の先生の授業を受ける機会がありました。授業内容は、「この病気になったら、この薬」とかそういう話ではなく、「赤ちゃんがお腹の中で自然に育って、自然に出てこようとする生命の神秘」を感じるような話。

「地球に生きるものとは?」と、語る先生の話に引き込まれた岸本さんは、「生命の自然の流れをサポートし、出産を見届けたい!」と、助産師を目指す事を決断します。看護師資格を取得した後に、助産師になる勉強をする学校に進学。その後、京都の医療センターで助産師として、バリバリ働いていましたが、旦那様の転勤で渡米する事に。岸本さんは、アメリカで妊娠・出産を経験する事になります。

アメリカでのお産は日本とは異なり、無痛分娩が6〜7割を占めています。薬は無害ではないし、自然に産めるなら産んだ方がいいという考えが一般的な日本。東洋医学自体が、「痛みの奥底には、何かがあるのではないか」という考えであるのに対し、西洋医学は「痛みがあるなら、取ればいい」という考えだ、と岸本さんは説明します。

当たり前のように「無痛分娩だよね?」と確認されましたが、助産師として「頑張ろうね」とお母さんの背中をさすりながら、お産に導いてきた自分が「痛みを和らげ、楽をしていいのか?」と感じ、無痛分娩を選択しませんでした。いざ出産に臨むと、岸本さんの痛みに耐える叫び声が響き渡り、病院は大パニックだったそう。

アメリカでもトップレベルの有名病院で出産しましたが、自分に備わっている「産む力」を発揮できなかった、と感じた岸本さん。とても悲しく辛いものだった、とお産を振り返ります。また、アメリカでは喋り相手もいなくて、産後うつにもなった、と打ち明けます。

その後、岸本さんは日本に帰国。2人目のお子さんの出産は、病院ではなく助産院でする事に。すると、病院では味わえないリラックスした雰囲気でお産が進み、「何、これ?むちゃくちゃ気持ちいい!」と、大きな衝撃を受けました。「その衝撃で、助産院を開業しました!」と、笑顔で話します。

日本では、助産院や自宅で出産する方の割合は1%ほど。助産院がどんな場所か、どんな風に出産するのかを知らないから、特別なものと捉えている方が多いけれど、特別なものではなく「生活の一部にお産がある」と、岸本さんは言います。もちろん、病院を選択する人、助産院を選択する人がいてもいい。ただ、女の人が主体的になり、「こうしてほしい」「こう思っている」と、自分の気持ちを大事にしてほしい、と岸本さんは考えています。

年間60件ほどのお産を見守る岸本助産院。出産されたお母さんたちは、「また、産みたくなって戻ってきました!」と、リピート率も高いそう。出産・子育ての資金を支援する事や、保育園の整備も重要だけれど、「また産みたくなる」という気持ちが大切。そんなお産を日々サポートし、未来の子どもたちに「幸せなお産」や「女の人が元気になっている生き様」を見てもらいたい、と語ります。

岸本さんは、産後のお母さんが気軽に相談できる場をつくりたいと、助産院の2階の自宅リビングを解放し、ベビーマッサージや料理教室を開いていました。しかし、岸本さんの息子さんが中学生くらいになると、授乳中のお母さんたちが集まる自宅のリビングに帰りづらくなるように。自宅で開くには限界を感じた岸本さんは、庭があって、畳があって、子どもたちが走り廻って、みんなでご飯が食べられるような古民家のような場所はないか、とイメージを膨らませていました。

そんな場所「どこかありませんかー?」と叫ぶと、築120年を超える古民家の持ち主から「ありますよー」と返答が。ただ、とても広く立派なので、ここを管理するのは難しいと考えた岸本さん、「誰か、管理人として住んでくれませんかー?」と叫ぶと「住みまーす」の声が。さらに、スペースがあるので、「誰か、お店しませんかー?」と叫ぶと、「やりまーす」と、手を挙げる方が。岸本さんが「何もできひんねん〜」と叫ぶと、みんなが「も〜」とみんな手伝ってくれる、と笑顔で話します。

イメージ通りの古民家を見つける事ができましたが、長らく放置されていたので、小動物の住処になり、屋根も朽ち、修復が必要でした。大工さんの力を借りつつ、自分たちで手を加えていきました。そして、女性が野生に目覚める家、いのちがよろこぶ衣食住の営みと学びの場『きさいち邸産巣日(むすび)』が、2017年に完成。こころとからだの両面から、人間としての感性を磨き、本能を開いていくような取り組みを実施しています。

様々なイベントを行い、人が集まり賑わっていた『産巣日』。ただ、ふらっと行きにくいなと感じている人もいるのでは、と岸本さんは考えていました。そこで、「学校には行けないけど、保健室なら行きやすい」というような、気軽に立ち寄れる「まちの保健室みたいなカフェ」をつくる事を思いつきます。クラウドファウンディングで資金を募り、『産巣日』の敷地内にカフェが出来上がったのですが、「お料理を作る人がいない…」と、いういつもの事態に。「誰か、作ってー」と叫ぶと、またしても申し出る方がいて、無事にカフェがオープンしました。

“野生化”

そんな岸本さんが、現在携わっているのが、ドキュメンタリー映画『女たちよ、野生に還れ』。当初、監督は「生と死」をテーマにする予定で、お産シーンを少し差し込むくらいだったそう。しかし、私市の自然と『産巣日』のコンセプトや雰囲気を気に入り、『産巣日』でお産があるなら、そこをメインに映画を撮りたいと、4年前にお産シーンを撮影。交野のメンバーが音楽を担当したり、私市のまち並みが映し出される映画は、完成間近です。

本日は、映画のプロデューサー、越本さんも来て下さいました。3人目までのお子さんを病院で、4〜6人目のお子さんは助産院でご出産。助産院での出産は、「優しくて暖かくて、自分をとても大事にしてもらえた」と、語ります。

自分を大事にされないまま、育児をするのはとても辛い事。そこで始めた「お産の大切さ」を伝える活動をしている中で、岸本さんとの出会いがあったそう。そして、プロデューサーを打診され、今に至り、資金集めに奔走中です。

かねてより、“野生化”を提唱してきた岸本さん。教育現場では、反対に「ちゃんと正しい答えを出せているか」「マルかバツか」のような教えを何十年も受けてきている、と言います。すると、いざお母さんになった時、「離乳食30グラムと書いてあるのに、26グラムしか食べていない」と、パニックになってしまう状況に。「自分は、正しいお母さんでないといけない」と追い込み、明らかに「感覚」より「正解」を重視してしまう。

感覚脳とよばれる右脳がしぼんでしまっている、と岸本さんは指摘します。岸本さんが、“野生に還れ”と伝え続けていると、お母さんたちも、「自分で好きな道を選んでいい」「子どもにも感覚を伝えていったらいい」という気持ちになり、元気になってくるそう。女の人が元気だと、男の人も元気になる。そして、子どもも元気に。そうなると、地域が活性化する、と岸本さんは笑顔で語ります。

また、病院のガイドラインに関しても、それはあくまでも指標。知識や経験、感覚を生かし、患者さんと一緒にそれぞれの治療を行うべき、と考えています。そこで、岸本さんは病院の枠を超えた医療を作っていこうと、統合医療スペース『杜(くくり)』を2023年に開設。

“寄ってたかって元気になるところ”である『杜』では、医師・看護師・理学療法士など、役割や枠を超えて、いいと思った治療を行っています。圧倒的な魅力で、人を惹きつけ、巻き込む力をもつ岸本さん。『産巣日』や『杜』という、人々に寄り添う優しい学びの場をみんなで創ってきました。

今後の野望を伺うと、お産をしたいお母さんのところに駆けつける、「空飛ぶ助産師」を目指しているとのこと。
「キャンピングカーで、全国を廻りたい!」と、叫ぶ岸本さんのもとには、またもや素敵な仲間たちがすぐに集まってきそうです!

【岸本 玲子】
岸本助産院 院長
2008年 交野市の星田にて助産院を開業
2019年 女性が野性へ還る場所【きさいち邸 産巣日〜むすび】
2023年 統合医療スペース【くくり】を開設
年齢性別、地域の枠も超えて、寄ってたかってみんなが元気になる拠点になればいいなと思っています。
岸本助産院
女たちよ野性へ還れ@岸本助産院
きさいち邸 産巣日(むすび)
きさいちの杜くくり-統合医療スペース
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