2023年11月14日のハイパー縁側@淀屋橋は、福井良佑さんをゲストにお迎えしました!
テーマは 「ENTAME-DIVER-CITY“なんばの新たな賑わいと可能性”」

建築系の大学院を卒業し、南海電鉄に入社した福井さん。最初の4年間は、社用物件や駅ビル、ゴルフ場のクラブハウスなどのメンテナンスや改修を担当していました。古い物件の雨漏りと、シャッター修理に奔走する日々。工事管理やビル開発のイメージを持っていたので、「地味な作業の毎日だなぁ」と、感じていたそう。建築を勉強してきたとは言え、作業内容は専門的で、右も左も分からなかった、と言います。

しかし、続けるうちに、「どうやって雨漏りが起こるのか」「シャッターのどこの部分が壊れやすいのか」などに気づくように。また、建物の構造自体を理解できるようになってくると、上司に恵まれた事もあり、地味な仕事も面白くなってきた、と振り返ります。

今では想像がつきませんが、福井さんは入社時、引っ込み思案な性格だった、と打ち明けます。感極まりがちで、泣き虫なのは今もだそうで、入社してから5回ほど泣いたエピソードがある、と笑います。1回目は、新入社員の頃。控えめな性格が仇となり、期日まで仕事を1人で抱え込み、上司にこっぴどく叱られた時。2回目は、飲み会の席で、大きな成果を出せない自分に、上司から叱咤激励され涙。できなかった悔しさからの涙だった、と当時の気持ちを噛み締めます。

また、1回目と2回目の涙の間には、「辞めてやろう」と怒りの気持ちを持った事もあった福井さん。しかし、やりたい仕事にド直球の会社に入れたんだし、「やりたい事をやろう」と決め、「あれやりたい」「これやりたい」と、自己主張をするように。すると、目指す方向に進めたり、部署異動が叶ったりもした、と言います。自身の体験から、若手にも「言わないと実現しない」と伝えている、と話します。

そんな福井さんは、雨漏りの守りと並行して、入社3年目「やっぱり、開発にも携わりたい」と、高架下の開発プロジェクトに手を挙げます。図面や工事関係の事だけでなく、リーシングパンフレットを作ったり、様々な事に積極的に取り組みました。

上司に生意気な口をきいたり、同期と本気でぶつかり合って喧嘩もしたそう。「若気の至りでした」と笑いつつ、若手メンバー中心に、こだわりを持ってプロジェクトに取り組め、とても恵まれた環境だった、と語ります。

その後、難波開発部に異動になり、『なんばスカイオ』の開発に携わる事に。ただ、福井さんは、田舎や郊外の開発に関わりたいと考えていたので、当初は前向きでなかった、と言います。以前担当した高架下のプロジェクトは、なんばエリアではありましたが、注目度が低い閑散とした場所。そんな高架下や郊外のようなマイナーエリアを、好き勝手したかった、と笑います。

しかし、結果的には、大きなビルの開発に、1から10まで、みっちり関われた事は、とても良い経験だった、と感じています。また、『スカイオ』を担当しながら、社内副業的に電車の内装を考えるワークショップを開いたり、新しい南海のアプリサービスを考えるチームを結成。さらには、なんば駅前広場の社会実験にも関わり、様々な事に取り組んできました。「面白いと思った事は、何でもやりたくなってしまうクセがある」と、自身を分析します。

『なんばスカイオ』の開発を本業にしながら、興味のある事に自主的に関わり、4年かけて『なんばスカイオ』が完成。大きな仕事を成し遂げ、涙腺ゆるめの福井さん、感極まって涙すると思いきや、ここでは泣かなかったそう。なぜなら、感動がなかったから、と言います。福井さんは、“ハコ(建物)を作っただけでは、まちは変わらない”という事に気づいた、と語ります。

「建物を建てたい」「まちを開発したい」という想いがあり、建築学科に入り、今の会社に入社した福井さん。もちろん建物は必要。しかし、“ハコありきではないのではないか”という想いを抱くように。だからこそ、その後は「本格的に違う領域に挑戦したい」と考え、2019年に新規事業部に所属。
そこで、人とのコミュニケーションの誘発になったり、傘でまちを彩れないか、と『傘のシェアリング事業』を立ち上げました。なんばエリアを中心にスタートし、公民連携しながら進めていきました。

しかし、ここで3回目の涙。「自分はなぜこの事業をしたいのか」「この会社で何を果たしたいのか」と考える機会があり、「事業のミッション」と「人生のミッション」を合わせるという指令を受けた福井さん。自己分析をして深く考え、オンラインミーティングで発表しようとした瞬間、涙が溢れ、10分間泣き続けたそう。自分の人生を振り返り、言葉にできない、何かこみ上げるものがあった、と言います。

後輩たちも見守る中、泣いてしまい恥ずかしかったけれど、この出来事が、『傘のシェアリング事業』をたたむきっかけにもなり、今に繋がっている、と感じています。傘のシェアリングは、とても便利でエコだから“正しい事”。けれど、人に響くのかと考えるとそうではない。“正しい事”は響きづらいのではないか。“楽しい事”なら、人に響きやすく、まちが勝手に賑わっていくのではないか、という気づきを得た、と話します。

それらの経験を経て、現在取り組むのが、『ENTAME-DIVER-CITY(エンタメダイバーシティ)』。2018年、国際性があってワクワクするまちにしようと、『グレーターなんば構想』が策定されました。なんばというまちを広く捉え、新今宮エリアも含まれています。しかし、どのように事業に落とし込んでいくかが定まらないまま、時が経過。そこで、福井さんは、それを深掘りし、まちづくりの方向性を共有する事に取り掛かりました。

『傘のシェアリング事業』を通じて、“楽しい事は、人やまちを動かす”と気づいた福井さん。なんばのまちは、なんばグランド花月やグリコがあったり、インバウンドの方もたくさん訪れるまち。“楽しい”と“エンタメ”をキーワードにまちづくりをしていく事を提案しました。直接的にエンタメ事業を行うのではなく、楽しいと思えるまちづくりを推進します。働く人・住む人・観光に訪れる人、多様な人々が行き交うまち。“楽しさ”と“多様性”を交ぜて『ENTAME-DIVER-CITY』と名付けました。

『ENTAME-DIVER-CITY』を進めるには、南海電鉄だけでは難しく、地元の人の想いや力は不可欠だと、福井さんは考えています。それぞれに、熱い想いがある分、摩擦は起きてしまう。しかし、会議では、主張をしっかりし合ってぶつかる事、ひと笑い起こる事が、“なんばらしさ”を象徴している、と感じています。

会議に同席するコンサルの方に、「こんな会議見た事ない」と言われるほどユニークなのだとか。“人の熱意が、まちを突き動かしている”と、福井さんは日々実感しています。以前は、なんばに出向く事も少なく、なんばのまちに愛着もなかったそう。しかし、仕事を通じ、なんばの人やまちと触れ合う事で、なんばが大好きに。その感情って、とても充実したものだと感じている、と笑顔で語ります。

“誰かの願いや想いを叶える”

福井さんの「人生のミッション」は、誰かの願いや想いを叶える事。3回目に泣いた時に確立した、と話します。みんなのやりたい想いが集まれば、まちは賑やかになる。それを、受け入れ、知恵を絞って提案していく事が、自身の得意分野でもあり、やりがいでもある、と語ります。また、福井さん自身はエンタメをあまり消費しないけれど、エンタメを楽しんでいる人を見るのが好き。だから、楽しめる場を作っていきたい、と考えています。

現在、なんばパークス1階の一角で『Chokett(チョケット)』というまちづくり活動を展開中。ハコを作る部署はあるので、中身を作る事に特化し、『ENTAME-DIVER-CITY』というまちづくりビジョンを具現化する、パイロット的なプロジェクトにしたい、と考えています。「想いを持った人がいたら、まちは動く」と感じているので、想いを持っている人の出会いの場になったり、「ここで、こんなんしない?」と提案できるような場づくりに取り組んでいます。
近年、インターネットで気軽に買い物ができ、郊外にショッピングセンターも多く、ライフスタイルは変化しています。ショッピング目的になんばに行くという価値だけでなく、“違う動機”を作る事を模索しています。

泣いたエピソードや、自身の経験を惜しげも無く、まっすぐ語って下さる福井さん。そんな人柄の福井さんの元には、これからも願いや想いが集まり、それを受け入れ、叶えていく事で、新たな賑わいをもたらし、魅力的な空間が、なんばを中心に広がっていきそうですね!次回は、4、5回目の涙のお話や、地元での活動についてのお話もぜひ伺いたいです!

【福井 良佑】
南海電気鉄道株式会社 まち共創本部グレーターなんば創造部
1985年大阪府生まれ、和歌山県暮らし。建築系大学院修了。3児の父。
街をつくる夢を実現できそうと思い鉄道業界へ。高架下や高層ビルの開発→新規事業→地域と共創するまちづくり→まちづくりビジョン策定といったキャリア・住んでいる街の地域活動に関わる中で、街はハコ(建物)よりも人の熱量が不可欠と知る。
物事を集めて何でもかんでも組み立てたがる癖がある。こだわりが強いが打たれ弱い。最近物忘れがひどい。何かと忙しないができればのんびりと暮らしたい、アラフォー会社員。

南海電気鉄道株式会社
ENTAME-DIVER-CITY