2020年11月6日のハイパー縁側は、中津女性会副部長 吉中昭子さんをゲストにお迎えしました。
テーマは「中津50年の歩み」

吉中さんは、中津に住まれて50年。
吹田市生まれの御年80歳で、結婚後に旦那さんが生まれ育った中津へ越してこられます。

お話し好きの吉中さんは、近所の方と井戸端会議で昔話を聞いているうちに自分が住んでいる場所がどんな街だったか益々興味を持ったそうです。

そんなある日、一人のおじいちゃんから「面白い本見せたろか?」と差し出されたものが、『中津史』とういう中津の歴史が書かれた大変貴重な本だったそう。

その分厚い本には、中津の歴史について方細かく書かれていて当時の写真もたくさん載っており、その本があまりにも面白くて深夜2時まで夢中で読んだそうです。

“悩んだ時は、前を向く”

「絶対、後ろ向きにモノは考えず、悩んだ時は前を向きます。」中津に住まれて50年、とにかく明るく元気な吉中さんの今までに聞いたお話と中津史に書かれていたことを語ってくださいました。

昔は一級河川の淀川に渡し舟があり、運河にはとてもきれいな川が流れていたそうです。
さらに歴史をさかのぼると、ここハイパー縁側が開催されている西田ビルの土地は砂浜で、掘り起こせば貝殻が出てくるそうです。
他にも17代続く富島神社にある数多くの鳥居は淀川をつくる時に川底に沈んだものを様々な場所から運んできたそう。

そして、阪急中津駅前にある中央公園は、中津小学校が建っており、移転後の小学校はもうすぐ150周年を迎えます。その中津駅高架下にある「いこい」は現在三代目で50年続く居酒屋なんですと話されます。

会場にいらっしゃった中津住民の方も昔の記憶が蘇り、あちらこちらで会話が飛び交って大盛り上がりになりました。

最後に吉中さんから、みなさんも中津にご縁があってここへ来られているので、こうして和気藹々バカ話ができるのが本当に嬉しいですと話されます。

次世代に受け継ぐために、これからも中津の歴史を大切にしていきたいですね。

【吉中昭子】
中津女性会 副部長
昭和15年生まれ。大阪吹田市出身。
結婚後、豊中市に住み、子供が小学校入学を機に主人の実家のある中津へ引っ越す。
主人が営む「株式会社吉中ニット」で家業の手伝いを行っていたが、25年前の家業廃業を機に近隣のビルやマンションの清掃サービスの仕事に就く。
現在は、中津地域の多拠点で掃除サービス業務の仕事に従事する。
約20年間パラレルキャリアで暮らす根っからの中津住民。