2026年3月15日のハイパー縁側@中山台は、森 臨太郎さんをゲストにお迎えしました!
テーマは「“私事”から始まる、持続可能な暮らしの形」
宝塚市長として、日々公務に奔走する森さん。本日は、「森 臨太郎」という個人として、波瀾万丈な歩みと暮らしに対する深い哲学を語っていただきます!
会場となった中山台ファミリーセンターには、開始前から多くの市民の皆さまが集まり、熱気と期待感に包まれています。地域の方々との心の距離の近さが伝わるような、あたたかい雰囲気の中で、トークセッションは幕を開けました。
森さんは、兵庫県西宮市の甲子園ご出身。幼少期には、長野県の小さな村で自給自足の生活を体験したり、高校時代には、岡山県のハンセン病施設でボランティアに励んだりと、多様な環境で感性を育んできました。その後、医師を志し、岡山大学医学部に進学。卒業を数ヶ月後に控えた大学6年生の時、人生を大きく変える出来事に遭遇します。それが、1995年の阪神・淡路大震災でした。
慣れ親しんだ西宮や神戸のまちが一変し、火の海となった光景を目の当たりにした森さん。「ショックでしかなかった」と、振り返ります。その状況は、写真や映像で見た、戦争で焼け野原になったまちを彷彿させるほどだったそう。森さんは居ても立ってもいられず、医学生として長田区の保健所へ飛び込み、ボランティア活動を始めます。行政や制度の手が届かない過酷な現場で、仲間と共に汗を流した経験が森さんの原点になっている、と語ります。
震災支援を経て医師となった森さんは、小児科医として瀬戸内海の島々や、都市部の病院で5年間勤務します。その後、さらなる知見を求めてオーストラリアへ渡ります。そこでも、小児科医として先進国の医療に従事していました。その傍ら、長期休暇を利用し、途上国の医療支援にも関わりました。その中で、目の前の命を救う診療も大切だけれど、背景にある社会の仕組みや制度がいかに人の命に直結しているか、を実感していきます。
「個人の治療だけでなく、より良い社会の仕組みを作りたい」という思いが強まっていった森さんは、イギリスの大学院で医療・福祉政策を学ぶ事を決断。1年間学んだ後、イギリス政府の政策立案に3年間携わるという、異色のキャリアを歩みます。しかし、それはとても険しい道のりだった、と話します。
政策は、文書によるもの。また、合意形成も言葉によるもの。森さんは、母国語でない英語での細やかな言葉の使い方に「かなり苦労した」と、打ち明けます。「しんどいけど、やるしかない」と腹をくくり、時間をかけ、地道に関係性を作り、合意形成を進めていきました。そんな森さんの姿は、次第に周りからも認められていったそう。努力が実り、イギリスで大きな2つの政策策定に関わり、称号も獲得しました。
やりがいや楽しさを感じていた森さんですが、イギリスで政策を作っていると、イギリスという地域のみに限定されてしまう事に、満足できませんでした。世界中の人々か、もしくは日本人の為に働きたいと考え、帰国する事を選択します。
帰国後は、国立成育医療研究センターで、日本の母子保健政策に関わります。さらに、国連職員としてバンコクを拠点に、アジア太平洋地域の少子高齢化対策に、5年間奔走しました。医師から、政策の専門家へ。そして、国際公務員へ。常に「より多くの人を救うための仕組み」を追い求め、世界を舞台に活躍してきた森さんは、コロナ禍をきっかけに1つの区切りを迎えます。
「やりたいことは、やりきった」、次は自分の足元を見つめ直し、「持続可能な暮らしを実践したい」と、愛着のある阪神間の中でも土の質が良い宝塚市へと移住を決めました。今後、世界はどうなるのかと考えた時に、自分で作物を育てる事が持続可能な生活につながると感じ、宝塚の地で畑仕事や園芸に精を出しています。幼少期から畑は身近だった森さんですが、オーストラリア在住時は、大きな庭でガーデニングを楽しんでたのだとか。本日も「畑仕事をしてから来ました」と、笑顔で話します。
“正しさよりも納得感”
現在、森さんが大切にしているのは、政策の「正しさ」よりも、市民1人1人の「納得感」だ、と言います。
医師として、1対1の診療に向き合ってきた経験と、大きな政策を作ってきた経験の両方を持つ森さんだからこそ、そのギャップに自覚的です。専門家が「これが正しい」と押し付けても、現場の感覚とズレていれば上手くいかない。
そこで、最終的に必要なのは、「対話」しかない。対話を重ねる、そのやりとりがあるから、実効性のある政策ができると森さんは考えています。
100%の合意は難しくても、対話のプロセスを経る事で、痛みを伴う決断も「自分たちのもの」として受け入れられるようになるのではないか。森さん自身も「納得感」がないと実行できないからこそ、様々なフィールドで多様な経験を積んできたのかもしれない、と自身を分析します。「対話を通じた合意形成」こそが、持続可能な地域づくりの核となり、安心して暮らせる社会につながっていく、と語ります。
また、中山台ニュータウンの今後についても、行政が何をしてくれるかではなく、全員が「私事」と捉えて当事者となり、対話を重ね・意見を出し合い・修正していく事が大事だ、と考えています。
少子高齢化や人口減少・景気低迷など、一見すると後ろ向きな話題が多い現代ですが、「決して悲観する必要はない」と、森さんは明るく断言します。人口減少に対する対応は、必要であるし実践すべき。
一方で、「こんなまちにしたい」「こうありたい」という願いや意見は、実現不可能ではない。世界中で、人口密度の低い地域でも、幸せに暮らす人々を見てきた森さんだからこその、確信に満ちた言葉でした。
現在、市長という立場の森さんは、決断するのがリーダーの役割だ、と捉えています。「決める」という事は、誰かの考えや想いを断ち切る事でもある。しかし、決断をしない事では永遠に前に進まない。皆さんに選ばれ市長となった自身がする事は、「決断をして物事を前に進めていく事だ」と、力強く語って下さいました!
森さんが語る「私事から始まる暮らし」とは、自分の生活の基盤を自分の手に取り戻し、周囲の人々と対話を諦めない姿勢そのものなのかもしれません。その哲学は、医療の現場から国際社会、そして現在の宝塚のまちづくりへと、1本の太い線で繋がっているように感じられました。
多忙を極める市長職務の中で、市民の皆さんとじっくり対話できないジレンマも抱えていながら、市民との対話に喜びを見出し、まちの土壌を丁寧に耕している森さん。対話の難しさや煩わしさ、全てを知りながらも「対話は楽しい」と、優しい笑顔で語る姿がとても印象的でした!
自らの人生を全力で駆け抜け、挑戦を続けてきた森さんの豊かな経験や、しなやかな生き方は、まちを「私事」にする楽しさを示唆してくれているようでした!
宝塚市長 / 医師 / 医学博士
1970年、兵庫県西宮市出身。小児科医として「いのち」の最前線に立ち続け、今は市政という新たな現場で指揮を執る。1995年、阪神・淡路大震災の被災地で奔走した若き日の記憶が、そのキャリアの原点だ。「目の前の患者だけでなく、社会という仕組みそのものを癒やしたい」。その想いは海を越え、オーストラリアでの臨床経験、英国国立医療技術評価機構(NICE)での政策研究、さらにはWHOや国連人口基金(UNFPA)でのアジア太平洋地域の少子高齢化対策へと結実している。
世界最高峰の舞台で公衆衛生と政策立案の最前線を走り抜け、2025年4月に宝塚市長に就任。「わたしたちごと」を合言葉に、行政任せではない、市民一人ひとりが主役となる参加型民主主義の実現を掲げて奔走している。
宝塚市
