2025年7月3日のハイパー縁側@中津は岡 隆裕さんをゲストにお迎えしました!
テーマは「In the Park 〜都市開発のゲームチェンジ〜」

兵庫県明石市ご出身の岡さん。六甲学院中・高校に通った後、京都大学・大学院へと進学します。卒業後は日建設計に入社し、18年間設計に携わっています。岡さんが建築設計を志したのは、小学生の頃。きっかけは6年生の時に、阪神淡路大震災を経験した事でした。
ちょうど中学受験の時期で、電車の窓から変わり果てた三ノ宮や長田の街並みを目にし、大きな衝撃を受けたと振り返ります。中学生になり、壊滅的な被害を受けたまちが再建し、復興していく様子を目の当たりに。また、通っていた学校の南側に、安藤忠雄さんの集合住宅の建設が始まり、強度をもった建築が空間として立ち現れてくるエネルギーを肌で感じたそう。

さらには、岡さんは明石市出身で、明石海峡大橋の建設現場を家の前の砂浜や通学中の車窓から、大きな主塔が建ち橋が出来上がっていく様を小・中学生の間ずっと眺めていた事も、大きく影響していると語ります。そんな建築の力強さや活力を感じ続けてきた岡さんは、大学生の頃には住宅というより、都市空間や公共空間の設計に携わりたい想いが強くなった、と言います。
できるだけ大きな空間で、できるだけたくさんの人々が、喜怒哀楽を感じながら過ごす建築に関わりたい、と日建設計を選択しました。入社1年目、様々な縁が繋がり、岡さんは母校の新校舎設計を担当。いきなり、1万2千m2の案件を抱える事になりました。

その後も、国内外の学校やオフィスなどの設計に携わっていきます。8年目で担当した、新居浜市立の総合文化施設・美術館は、初めて携わった公共建築で思い入れがある、と語ります。
ランドスケープと建築が融合したような、外部空間と内部空間を自然と出入りできる形状の建物を構築。来街者だけではなく、通りがかりの近所の人や、学校帰りの高校生が気軽に立ち寄れる、地域住民の日常の延長としての“開かれた公共建築・都市空間”を実現しました。また、公共建築だからこそ、家族と一緒に訪れることができ、子どもに「お父さんが設計したんだよ」と伝えられたのも嬉しかった、と笑顔で語ります。

同時期に取り組んでいたダイキン工業の研究所のプロジェクトでは、設計後、現場に2年間、監理として常駐し、施工者の方たちと苦楽を共にしたそう。自身の描いた図面がどのように建てられていくのか、「毛穴まで見た」と、言います。この建築は「大阪まちなみ賞」や「おおさか環境にやさしい建築賞」の大阪府知事賞など様々な賞を受賞し、自身のキャリア形成に大きく関係している、と感じています。
そんな岡さんが、設計する中で重視するのは、クライアントと“何度も対話を重ねる事”。要望に応える事はもちろん、クライアントが思いつかなかった空間や出来事が生まれるよう、斜め上くらいを目指している、と語ります。CGや模型を駆使して、イメージを共有し、対話を重ね、未来の建築・空間を創っていきます。岡さんは、「建築は人が入り、使われ始めてからが本番だ」と捉えています。50年、100年、大事に使われ、重要文化財になったらいいと願いながら毎回設計している、と言います。

今年、『ニューヨーク・タイムズ』に掲載された「2025年に行くべき52カ所」に、日本からは富山と大阪が選ばれました。大阪は、グラングリーン大阪や関西万博を紹介。その表現は、「the game-changing project」。グラングリーン大阪の噴水で遊ぶ女の子の写真が印象的です。「ゲームチェンジ」というワードは、今までの都市開発の系譜からは考えられない事が実現されている事実を言い当ててくれている、と岡さんは語ります。
去年9月に、まちびらきをしたグラングリーン大阪。岡さんは、2017年の事業コンペから参画してきました。日本の人口減少を鑑みたり、リーマンショックを経て、「どのような都市開発が望まれるのか」を考えた時に、ビルで埋め尽くすのではなく、「真ん中を公園にする」という決断が、大きな転換点だったと話します。グラングリーン大阪は、「みどり」と「イノベーション」の融合がテーマ。建築は建築、道路は道路、ランドスケープはランドスケープ、と切り離されていたら実現に至らなかった、と言います。

ランドスケープデザイナーが、真ん中のみならず、「敷地全体を公園と捉える」と発言。岡さんは、そこからチームの潮目の変化を感じたそう。ランドスケープの大きなジェスチャー(ふるまい)と共にパブリックスペースをつくる、建築の在り方を考えたと言います。
建築ボリュームもランドスケープの一要素として扱い、ビルとビルの谷間をバレイ(渓谷)と見立て、屋上緑化を山麓のように迫上げ、エネルギッシュな都市空間を構築しました。首都圏の開発エリアと比較しても、真ん中の緑地帯は、都市の“ボイド”として効果を発揮している、と感じています。

“ひとつながりの風景をつくる”
開発のコンセプト・特徴は、敷地境界線を超えて、“ひとつながりのデザイン”をした事。具体的には、道路と公園内の舗装材の素材や目地を同じにしたり、公園内の建築と民間の建築は、同じ造形言語にするなどの工夫により、一体感ができあがっています。「ブラタモリ的に解説すると、5キロくらい歩いて、3時間はかかります」と話す岡さん。地道な調整と設計の結晶です。
岡さんは、「賑わいは、グランドレベルから地続きで生まれてくるものだ」と考えています。そのグランドレベルを大事にしながら、上の視点から、風景を俯瞰できるエリアとしてデザインしたのが「ひらめきの道」。南北エリアをゆるやかにつなぐ「S字型」の散歩道は、最後までこだわった部分だそう。両側の逆ハの字の縦桟の詳細設計や色についても熟考し、金色を提案した岡さん。
実際にできあがった縦桟は、夕方にはキラッとゴールドに輝き、曇りの日にはダークブラウンの色味に変化し、時々刻々と彩豊かな情景を映してくれます。他にも、道を横断するブリッジ部分のアーチ形状・縦桟の形状変化など、細部までこだわり抜いた、と語ります。

開業2日目には、たくさんの人々で賑わったグラングリーン大阪。「一夜にして、グラングリーン大阪を使い倒せてしまう、大阪の人はさすが」と、写真を眺めながら笑います。それぞれが、それぞれの過ごし方を楽しんでいる風景がそこにはありました。
今、求められているのはビルの横の空地ではなく、人々が思い思いに自由に過ごせる大きな広場(ヴォイド)なのではないか。コンビニやファストフードで買って来て、公園で食べてもいい。横の高級ホテルで公園を見下ろしながらランチしてもいい。多用途の都市機能とランドスケープが混ざりあう空間で、誰もが自分の居場所と思える“選択制の高い自由な空間”が生まれた事を、岡さんは実感しています。

公園・道路・民地の敷地境界を超え、また、アーキテクト・ランドスケープデザイナー・事業者・管理者の違いなどの様々な境界がある中で、一気通貫のデザインでつなぎ、“ひとつながりの風景をつくる”事に全力を注いできた岡さん。
その時、一人格が横串で刺さないと、チグハグなものができてしまう、という懸念があったので、組織として情報共有し、周りのステークホルダーと調整しながら進めていった、と言います。そして、結果としてちゃんと居場所を生み出す事ができた、と感じています。

うめきた2期の設計を始めたのは、今から8年前の2017年。数年先は公園の上を空飛ぶ車が飛んでいるかも、と未来を想像しながら夢のあるコンペ提案の絵を描いていたものの、現実の建築・都市空間は意外とそんなに進まなかった、と岡さんは話します。その中で、「芝生にシートを敷いて、人々が憩う」という景色は、5年後も10年後も、その先にも変わらず「いいなぁ」と思える“普遍的な風景”。
アーキテクトの職能についても、何百年も前から平面図や立面図で、青写真を描いていく仕事。実は、とても原始的な職業である、と岡さんは穏やかに語って下さいました!

普遍的な風景や価値を、新しい発想と細やかな調整と設計で体現してきた岡さん。グラングリーン大阪は今後の都市開発の象徴となり、暮らしに豊かさをもたらし、何十年も愛され続けていきます!


日建設計 設計グループ ダイレクター
1982年、兵庫県明石市生まれ。2007年、京都大学大学院修士課程を経て日建設計入社。設計プロセスでの対話を大切に、都市の風景・文化と、人の行動・体験をよりどころにした建築デザインを志向し、公共施設(美術館)、研究施設、学校から、オフィス、ホテル、大規模複合開発まで、用途・スケール・ディテール・環境技術を横断した幅広い知見を持つ。
これまで手がけてきた設計は、新居浜市あかがねミュージアム(新居浜市美術館)、ダイキン工業テクノロジー・イノベーションセンター、六甲学院中学校・高等学校、同志社幼稚園、グラングリーン大阪(うめきた2期開発)など。
日本建築学会作品選集・2023年作品選集新人賞、JIA優秀建築選・環境建築賞、公共建築賞、日経ニューオフィス賞など受賞。
日建設計