2019年12月2日、中津・西田ビルの1階に生まれた縁側空間で、100回を目指して開催するトークセッション「ハイパー縁側」。
記念すべき第一回目は、この空間を設計されたSMALL STANDARD代表の當間一弘さんと株式会社NI-WA代表の吉川稔で行われました。

當間さんと吉川は、共にカフェ・カンパニー株式会社の出身。當間さんは、店舗の設計などをされていましたが、2年前に京都府与謝郡伊根町に移住し、古民家をリノベーションした「CAFE&BB guri」というカフェを併設した1日1組だけの古民家ホテルを経営されています。

吉川「以前から地方への移住は意識していたんですか?」

當間さん「震災後の2012年くらいから地方への移住を意識していました。その矢先に出会ったのが伊根町です。海側の舟屋(職場)と道を挟んで山側の母屋(生活の場)がセットになって230軒くらい並んでいる。日本でももっとも海に近い町、そのライフスタイルも魅力的でした。」

吉川「伊根町には魚屋さんがないんですよね。」

當間さん「そうです。その代わり毎朝、漁師さん達が7時くらいから水揚げされた魚を選り分けていて、町の人はバケツを持ってそこに行って、量り売りで直接買えるんです。ここには、海に接してないと出来ない暮らし方があります。また、丹後半島では豊受大神という食の神様が祀られていて、米や農作物もクオリティが高い。伊根満開で有名な向井酒造さんや完全無農薬のお米だけで作るお酢の醸造所(飯尾醸造さん)、など、歴史のあるプレーヤーがたくさんいるところです。」

伊根町や當間さんのことを少し知っていただいたところで、中津やこの空間の話へ。

吉川「ここには、私有地だけどパブリック、縁側のような曖昧な場所を作りたかったんです。でも具体的にどんな風に作ればいいか、と悩んでいた時に當間さんのことが頭に浮かびました。」

當間さん「以前、『CAFE&BB guri』に宿泊していただいた時に、何か一緒にしましょうと声をかけていただいてたんですよね。」

吉川「設計を依頼する時にはその人のライフスタイル、価値観が大事だと思っていて、當間さんがここにどんな空間をつくるのか見てみたいな、と思ったんです。ところで、なぜ、こういう空間(階段状のデッキ)にしたんですか?」

當間さん「特殊なことはそんなに考えていない、というか、もともといびつな形の特殊な場所だったので、それをできるだけどこでも使えるようにしたい、という素直な発想から生まれました。どこでも座れて、どこでも歩けて、どこでもコミュニケーションできる、というような。」

吉川「使っている様子を見ていると、机であり椅子でもあったり、食事する人もいて。あと、隣に知らない人がいても気にならない距離感がありますよね。」

當間さん「ここまで人が入る想定はしていなかったんですけど、人が座っていても歩ける通路(空間)もあるというイメージでした。どっちとも取れるけれど、パッと見はわからない、というような。」

吉川「移住してから、仕事の捉え方に変化はありましたか?」

當間さん「東京に居た時はデザイナーとして比較されることも多く、新しいものに取り組まなければ、という意識がありました。移住してからは、例えば古民家のそのままに少し手を加えて70~80点くらいを目指すようになりました。誰がデザインしたか?ということは僕にとっても使う人にとっても重要でないと感じています。」

吉川「この空間をつくるにあたって、『印象的なもの』だと欲しい物ではなかった。より自然で、昔から風景のようになって欲しかったんですよね。デザイナー、という職種が変わってきたのかも知れません。」

“デザインは手段”

當間さん「僕自身、今でも依頼があったら設計・デザインをすることはあるけれど、プロジェクトの中において、デザインは手段でしかないと感じています。今回の場合は、今みたいに子どもたちが走り回っていても気にならない空間を作れたことが大切で。」

吉川「最近、アーティストになります、と話しているんです。この50年くらいデザインが世の中を引っ張ってきたと思いますが、今回、この場所をデザインしたとは思っていません。アートは共創的なもの。作りたいものを作ろうとするとデザイナーの領域でなくなると感じています。」

當間さん「今、設計・デザインの仕事を受けるにあたっても、伊根で地域の人のためにつながるようなことを選ぶようにしています。」

吉川「ちょっと、生態系をつくるのに似ていますよね。発酵食品も携わる人による、アートに近いと感じています。」

當間さん「確かに、僕が一時期働いていた向井酒造の杜氏さんにしても、麹の音を聞くというか。」

吉川「自然と自分との対話で、思い通りにならないものですよね。デザインの世界は支配的。話は変わって、中津は何回か来られていると思うんですが、最初の印象はどうでしたか?」

當間さん「ヒューマンスケールの街ですよね。西田ビルの屋上からの景色は、ブルックリンから対岸のマンハッタンを眺めるのに似ていると思いました。」

吉川「実際に、空間をつくる側として関わりだしてからの変化はありましたか?これからどうか関わりたいか、など。」

當間さん「(中津の)街の人との接点は作っていければいいな、と。地方にいると、伊根の方に来てもらいたいなという思いが強いですね。一方だけでなく掛け算になるようなことができればと思います。」

ここでお客さんからの質問タイムに。

女性「伊根町のことを、今日、初めて知りました。広島出身なんですが、鞆の浦の雰囲気に似ていますね。是非行ってみたいと思いました。地域の人はどんな感じなんですか?」

當間さん「とてもフレンドリーですよ。漁師さんも捕れすぎた魚を持ってきてくれたり。移住者だからと言って敬遠されることはないですね。」

吉川「なぜ、伊根町に興味を持ったんですか?」

女性「大阪には何でもあるし、何でもできる。でもそれより、地域の方と交流して、知らないことを教えて頂く関係の方がとても魅力的だと思いました。」

もうひとり、男性からのご質問。

男性「2025年の万博が開催される此花区から来ています。お二人が万博をプロデュースするとしたら、どんなことをしますか?」

當間さん「日本から世界に発信するとしたら、自然とどう共存するか?ということですかね。」

吉川「僕は前回の大阪万博の時に5才だったんですが、今考えても岡本太郎さんはすごいなと。太陽の塔はアートそのもので、パワーのあるもの。当時、岡本さんが発信していたテクノロジーへのアンチテーゼは、今現在にも通じるものがあります。何より、その案にOKを出した人たちがすごいんですけど。そういう意味では、次の50年後に見て共感できるようなことをしないと意味がないとは思いますね。」

最後に、當間さんからこのハイパー縁側を100回続けていくためのアドバイスをお聞きしました。

當間さん「地域に入り込んでハブになる人が一人だと継続も難しくなる、だからチームを組んで社内外含めて中津を好きな人間、ファンを作っていって、誰でも交換可能になるコミュニティをつくることですかね。後は暖房器具笑。」

吉川「日本のソト空間は厳しいですよね~。やりたかったのは、●曜日の●時にあそこに行けば誰かいるよね、という場所づくりです。公園や銭湯のようなアポイントなしでも出会える場所。」

 

肌寒い中、1時間に渡りトークセッションにお付き合いいただいたみなさま、ありがとうございました。これから、ほぼ毎週金曜日の夕暮れ時に「ハイパー縁側」は開催されます。

【當間一弘】
合同会社GURI 代表社員 / 一級建築士
1977年埼玉県生まれ。
東京都内を主として100店舗以上の飲食店を運営するカフェ・カンパニー株式会社にて、事業企画から空間デザインまで多岐にわたり活躍。
個人では、中房総国際芸術祭「ICHIHARA ART MIX 2014」に夫婦でアーティストして参加し、イノシシなどの地域食材を活用した期間限定のカフェなどを運営。
2017年9月、同社を退職し、京都府与謝郡伊根町に家族で移住し独立。
2019年2月、CAFE&BB guriを開業。
現在は、福井県の6次産業化施設の事業企画や、飲食店等の設計を初めとする地域活性化事業に携わる。
西田ビル共用部のリノベーションをデザイン。