2026年1月29日のハイパー縁側@中山台は、松下義弘さんをゲストにお迎えしました!
テーマは「託したい思い。〜新しい自治会のカタチ〜」

松下さんは長年、繊維・ファッション関係の新聞記者として、世界中を飛び回ってきた経歴の持ち主。その「きく」や「伝える」「まとめる」など、プロフェッショナルとしての視点を、現在は中山台コミュニティ会長を担い、地域活動という新たなフィールドで存分に発揮されています。

松下さんと中山台の出会いは、約50年前に遡ります。このまちができて、最初に入居した「第1号グループ」だったそう。周囲はまだ家がまばらな風景だった、と振り返ります。中山台に居を構えた松下さんは、現役時代「企業戦士」として、大阪や東京、そしてパリやミラノ・ニューヨークなど、海外まで取材に奔走。

ファッションや繊維業界を専門にし、産地の商工会議所や行政のトップ、時には大企業の社長に切り込んでいく日々を送っていました。たまの土日もゴルフに出かけるなど、地域との接点はほとんどありませんでした。ブロックごとに選出され、10年毎に回ってくる幹事は奥様に任せきりだった、と言います。

転機が訪れたのは定年後、60代後半の頃。奥様から「もう定年なんだから、自治会の幹事をやってみたら?」と、背中を押されたことがきっかけでした。最初はどこの部署がどこの場所で会議をしているのかさえ分からず、初めての会合に遅刻したんだそう。

そんな仕事一筋だった松下さんが、地域のコミュニティに足を踏み入れる。一見すると、大きな変化のように思えますが、松下さんの中では記者として「知らない場所へ行き、話を聞き、状況を整理する」という長年の経験が、そのまま自治会活動という形にスライドしただけの事。対象が「企業・業界」なのか、「地域」なのかという違いに過ぎない、と話します。

自治会の活動に関わるようになっても、松下さんのスタンスは「記者」そのもの。総務部や環境緑化部・文化部といった組織が何をしているのかを、取材するように学んだ松下さん。1年目は総務部で活動し、2年目は副会長を務めました。そして、その翌年には会長に選出され、10年ほど経ちます。

松下さんは、経験してきた仕事のように自治会の活動も、物事の“組み立て”を考える事が大切だと話します。「隣近所仲良く、みんなが住みやすいまちにする」という事を基本にしながら、「どう組み立てていけばいいのか」を意識し、会長としての任務をスタート。そして、単に前例を踏襲するのではなく、今の住民にとって最適な形を模索し続けてきました。

例えば、公園の改修事業。通常なら、新しい遊具を設置することを考えがちですが、松下さんは「公園は、防災の拠点でもある」という視点を持ち込みました。そこで、市への申請の際、遊具ではなく防災倉庫の設置や、高齢者や車椅子の方が使いやすい洋式トイレへの改修を提案し実現しました。

自治会活動の中で、防災や祭りはとても重要な要素です。松下さんは、防災について誰かが司令塔となり、大きなエリアを統括するのではなく、地域ごとであったり隣近所が助け合うような、小さな単位での「自主防災」のしくみが大切だ、と考えています。現在、自治会の中で「自主防災会」を作り、活動を進めています。松下さんは、大きなエリアで捉えた方がいい問題と、小さなエリアで捉えた方がいい問題があると指摘します。

逆に、大きなエリアで考えた例が、祭りの問題です。かつて中山台周辺では、各自治会や商業施設・福祉施設がバラバラに祭りを行っていました。しかし、小規模な自治会では担い手不足もあり、祭りを維持することが難しくなっていました。そこで、松下さんが提案したのが「合同秋祭り」。無理に新しい予算を作るのではなく、既存の活動を持ち寄り、1つの大きなイベントとして発信するという考えで、「同じ日に、それぞれの予算でやってきた事を一緒にやりませんか」と声をかけました。

さらに、祭り当日は予算を使って外部からパフォーマーを呼ぶのではなく、ダンス教室やバレエ教室の発表会をしてはどうかと提案。すると、子どもたちの晴れ舞台を見ようと、親御さんはもちろん、おじいちゃん・おばあちゃんまでが会場に詰めかけ、とても盛り上がったそう。老若男女が笑顔で交流し、まさに「これぞ祭り」という光景が広がっていました。

個々に行う祭りでは生まれなかった、自治会同士が交流するきっかけにもなりました。当時の映像を見ると、今でもその熱気が伝わってきます。中山台は新しく宅地開発されたので、神社やお寺があるような地域ではありません。

昔から引き継がれてきた、歴史や伝統のある祭りもない。だからこそ、自分たちで「どのようにしたら面白い祭りができるのか」を考える事が大切だ、と松下さんは言います。資金を増やすのではなく、知恵を出し合い、この地域や時代の変化に合った祭りを、みんなで作り上げてきました。

“隣近所の助け合い”

松下さんの哲学は、ダーウィンの進化論になぞらえた「変化に対応するものだけが生き残る」という強い信念に基づいています。時代は変わるし、住民の人口構成も変わる。50年前と同じやり方が通用するわけがない、と松下さんは断言します。

以前は60才で定年を迎え、定年後は地域活動に勤しむ方も多くみられました。また、専業主婦の割合も高く、地域活動に積極的に参加していました。しかし、共働きが増え70代まで働くのが当たり前になった現代、昔のように「年中無休で、地域活動をしてくれ」というのは無理な話。

時代の変化に合わせ、特定のイベントだけを担当するような活動の仕方もあるのではないか、と提案します。松下さんは、「会長がいなくてもいいし、5人の会長がいてもいい」と、組織のあり方そのものを柔軟に考えればいい、と語ります。

そんな松下さんが、どんなに時代が変わっても変わらない「核」として大切にしているのが、「隣近所の助け合い」です。SNSで世界中の人と繋がれる時代ですが、震災が起きた時、東京の友達は助けに来てくれません。最後に頼れるのは、隣近所。

だからこそ、とんど焼きで火を囲んだり、お祭りで顔を合わせたり、普段から繋がりをもっておく。日常の小さな繋がりが、“究極の防災”になると考えています。特定の誰かが無理をするのではなく、それぞれができる範囲で関わり、顔の見える関係を築いていく。その積み重ねが、何十年後も愛されるまちへと繋がっていきます。

俯瞰的かつ冷静に、時代の変化や自治会の在り方を考察しながら、情熱をもって人と人との繋がりを大切にする松下さんの姿が印象的でした!
変化をポジティブに捉え、軽やかに柔軟に、未来をデザインする松下さんの生き方は、どの世代の人々の心にも深く伝わり、受け継がれていきそうですね!

【松下 義弘】
中山台コミュニティ会長 / 前中山五月台自治会長
新聞記者として繊維・ファッション業界を担当し、全国の街づくりなども取材。退職後は大学特任教授も務めた。
居住50年の中山五月台で、リタイア後に妻の勧めで地域活動を開始、自治会長として活躍、現役時代の経験を活かした「絵を描く力」で、
各種の補助金も活用した防災マニュアル作成、防災公園整備や、低予算での地域全体を結集した新たな祭りを開催するなど戦略的な運営を実現している。
「使命感は大げさではないが、隣近所は仲良く」という思いを原点に、「明るく、楽しく暮らせるまちづくり」を追求、地域外の諸組織、地域活動の先頭に立つリーダー達とフラットに連携、情報交流、協力体制作りに力を注いでいる。
今は共働きで忙しい次世代も加わり、幅広い層が結集した「無理なく回る仕組み」構築を目指していきたいという思いを強めている。
中山台コミュニティ