2026年5月30日のハイパー縁側@中津は横山 和也さんをゲストにお迎えしました!
テーマは 「あきらめない暮らし〜車いす生活から見えた新しい未来〜」
3年前の冬にご登壇予定だった横山さん。都合により延期になった間に、車いす仲間の牧野さんが天満橋のハイパー縁側に登壇され、「先越された〜」とつぶやきます。しかし、3年経ったからこそ、話すネタが増えたと笑顔を見せます。本日、満を持して横山さんのハイパー縁側スタートです!
横山さんが車いす生活となったのは、15年前の26才の時。友人らと訪れた旅行先で、高台のコテージから転落し、脊椎を損傷する大怪我を負ってしまいます。ドクターヘリで運ばれ、気がつくと、病院の集中治療室のベッドの上だったそう。怪我を負ったという感覚より、2日間酔いで気持ち悪い感じだった、と振り返ります。
大きな手術をする前に、今の身体の状況や、寝たきりになるかもしれない、と医師から説明を受けた横山さん。「もう治らないのか…」と感じながらも、「質問はあるか」と問われ、「治る確率は何%ですか?」と質問しました。医師からは「5%」と答えが返ってきました。絶望感に苛まれると思いきや、横山さんは「5」という数字には、「希望しかなかった」と言います。
「0」は何をかけても「0」にしかならない。「5」には可能性がある。横山さんは、事故前に研究職に就いていて、再生医療の知識があった事も希望を見出せた理由の1つ。また、当時は人生の目標もなく、惰性でダラダラ生きていたという感覚だったので、この事故を「変わるきっかけ」「頑張るきっかけ」だと捉えた、と言います。「落ち込んでいる時間がもったいない、やれる事がある」と、事故から3日後には、前を向き進み始めました。
ICUで容体が落ち着いた後、リハビリ病院へ転院。退院後は、1人暮らしする事を視野に入れ、リハビリを進めていたそう。1人暮らし自体が未経験にも関わらず、実家に戻るのではなく、1人暮らしという選択をした横山さん。「いつかは、親元離れなあかんと思ってて」と、笑います。
しかし、やはり1人暮らしに向けての準備も、実際に1人暮らしを始めても、大変な事だらけ。まず、情報がない。当時は、現在ほどSNSが浸透していない事もあり、同じような状況・生活の方の情報を得る事ができませんでした。実際に、車いすユーザーに会うと様々な情報を共有する事ができる。それぞれ情報をもっているのに、必要な人に知れ渡っていない現状を目の当たりにし、横山さんは、情報発信の大切さを痛感します。
そこで、入院中から自身の日記をブログにアップし始めます。反響は、とても大きかったそう。退院後も、ホームページなどを作成し、障がい者の情報を発信し続けていました。健常者から障がい者に歩み寄る事はあっても、その逆はないと横山さんは感じていたので、「どんどん前に出ていこう!」と積極的に発信し、コミュニティを作っていきました。
情報発信という本質を貫いていく中で、横山さんが行き着いたのが不動産業です。以前から知り合いだった不動産会社の会長の方と、福祉のイベントへ出かけた事をきっかけに、一緒にビジネスをしよう、と縁が繋がります。
そして、現在「車いす住宅アドバイザー」として、車いすユーザー向けの賃貸住宅の仲介や、注文住宅やリノベーションなどに携わっています。また、車いすユーザー宿泊体験型モデルルームを建設し、イベントを開催したり幅広く活動中です。
車いすの方が住宅を探すのには、壁がいくつも立ちはだかり、簡単には見つかりません。例えば、車いすでエレベーターに乗れるスペースがあるのか。最寄駅から住宅までの動線は、バリアフリーになっているのか。さらには、生活には欠かせないトイレや風呂は、どのようにしているのか。
普通の不動産屋さんには聞けない事や理解しがたい事も、車いすユーザーの横山さんが間に入る事で、スムーズに進める事ができます。車いすの方が住みやすいように改装の提案をしたり、車いすに乗る横山さんが載っている写真を見せる事で、容易に廊下の幅などを実感する事もできます。
年単位でないと見つからない事も多々ある中で、早ければ数ヶ月で住まいを見つける事ができる事も。横山さんはニーズを実感していて、認知を広げる事でもっと喜んでもらえる、と確信しています。「家の事は、横兄(横山さんの愛称)に聞いたらいい」と、言われるくらいを目指している、と笑顔で語ります。
車いすユーザーの目線に立つと、日本は電柱が多いので、通行の妨げになる、と言います。また、自転車の路駐も道を阻みます。そこを改善するだけで、かなり通りやすくなるそう。飲食店に入るにも、段差やトイレの問題から、ふらっと立ち寄れないのも現状です。中津に住んで10年目の横山さんは、よく行くお店では、訪れるとすぐにビールにストローをさしてくれるのだとか。他にも、入口に近い席を用意してくれたり、地域の方の心遣いを感じています。
“みんなが助け合う”
道路の勾配や段差を、今すぐバリアフリーにする事は不可能。しかし、道行く人に助けてもらえれば、バリアはなくなる。段差があろうと、上り坂・下り坂があろうと、みんなが当たり前のように助け合えるまちになればいい、と願っています。
今となれば、まちを歩けば顔馴染みだらけと言う横山さんも、住み始めた頃はビジネス街のイメージがあり、人との関係は希薄だろうと、中津のまちを蔑ろにしまくっていた、と打ち明けます。
しかし、人々が密に繋がり、下町感と人情味あふれる中津の魅力を再確認し、もっと盛り上げていきたいと考えるように。中津には、アクティブな車いすユーザーが多いと感じている横山さん。「ん?僕が集めているのか」と、笑います。
今後、横山さんは、車いす専用のマンションを建てる目標を掲げています。このマンションで過ごしてもらった上で、次のステップとして自宅マンションや、戸建住宅へ目指していけるような場にしたい。
また、社会貢献の意味でも、このマンションに投資してもらえるようなアピールをしていきたい。そうする事で、社会の理解に繋がっていくのではないか、と考えています。「できれば中津に建てたい」と、中津愛が溢れます。
会場からは、「ポジティブで前向きな横山さんの原動力は何か」という質問が投げかけられます。車いすであろうとなかろうと、みんな悩み事がある時に、家族や友達の周りの人に支えてもらっている。車いす生活をしていると、その感謝の気持ちが普通より大きいのかもしれない。みんなに助けてもらってここまできて、横山和也ができている。自分が周りにどうしたら恩返しできるか、と考えている事が原動力だ、と語ります。
来年の春には、車いす宿泊体験施設にて、車いすインフルエンサーの中嶋さんと障がい者の「性の話」をするイベントを思案中です。とても大切な事なのに、タブー視されている現状を変えていきたい、と意気込みます。
怪我を負い車いす生活になった横山さん。「自分にしかできない事はなんだろう」と自問自答してきた中で、情報発信の重要さを強く認識し、様々な形で発信し続けてきました。住宅に関する車いすユーザー向けの情報発信や相談は、まさに横山さんにしかできない事。どんな状況に陥っても、目指したい生き方を見失わず、前に進む横山さんの逞しさと、快活さに勇気をもらう人々は、まだまだ増えていきそうですね!
「ただ、楽しい事をしてきただけかもしれない」と、笑顔で話す姿がとても印象的でした!これからも、「楽しい」や「感謝」を軸に横山さんの挑戦は続いていきます!
車いす住宅アドバイザー
1984年生まれ 大阪府出身。
2010年、転落事故で車いす生活となり、「我慢が当たり前になっていた暮らし」に疑問を感じる。 『障害×不動産』をテーマに、もっとポジティブに、そして『おしゃれで心地よい暮らし』をあきらめない社会をつくるため、2022年に宿泊体験型モデルルーム【WADACHI】を大阪にオープン。
『同じ目線だからこそ伝えられる価値』を軸に、リノベーション・注文住宅・賃貸物件の紹介・福祉機器の提案など、住まいづくりを通じたサポートを展開中。
さらに、様々な障害のある方々が集まり、つながれるコミュニティ作りや、著名な車いすユーザーとのトークイベントの開催なども積極的に企画・実施し、学びや共感の輪を広げている。
今後は、障害の特性に応じた雇用創出や、福祉住宅の普及を目指し、誰もが『自分らしく暮らし、働ける社会』へ。
宿泊体験型モデルルーム WADACHI
