2026年2月18日のハイパー縁側@中山台は成地 勉さんをゲストにお迎えしました!
テーマは 「感動を届け、豊かな人生を生き抜く人材を育てる。」

成地さんは、学校法人雲雀丘学園で常務理事を務めています。そのルーツは、三重県と和歌山県の県境を流れる熊野川のほとり。三重県の紀宝町で生まれ、和歌山県の新宮市を生活圏としていました。

新宮は、大正時代の文豪の佐藤春夫や芥川賞受賞した中上健次といった名だたる作家を輩出した、文化の香り高い土地。熊野三山や熊野古道に抱かれた豊かな自然の中で、成地さんの幼少期は育まれました。

そんな成地さんが、人生で初めて「悔しさ」という強烈な感情を味わったのは、小学5年生の時の事でした。母に勧められて始めた剣道の初試合で、女の子にボコボコに負けてしまったのだそう。「あの時の悔しさは、今でも忘れられない」と笑いながら振り返る成地さん。悔しさをバネに、その後の大会では優勝した事もありました。一度決めたらやり抜く、そんな粘り強さの片鱗が、この頃から見えていたのかもしれません。

高校時代は、実家を離れて三重県の伊勢高校へ進学し、下宿生活を送りました。親元を離れ、同級生たちと寝食を共にする中で、自立心と他者への思いやりが養われていった、と言います。中学の剣道部があまりに激しかったため、高校では勉強との両立を考え、一時的に弓道に転向したという意外なエピソードも。

大阪の大学に進学すると、「やっぱり剣道がしたい」と、再び剣道部の門を叩きました。そこで生涯の師と仰ぐ先生に出会い、剣道の奥深さと人としての在り方を徹底的に叩き込まれた、と語ります。社会人になっても、剣道部の監督やコーチを務め、現在はボランティアとして学生剣道連盟に携わり、剣道と関わり続けています。

大学卒業後は、サントリー株式会社に入社しました。配属されたのは営業部門。大阪を振り出しに、広島・東京・神戸、そして北海道と、日本全国を駆け回る日々が始まりました。今でこそ、サントリーは圧倒的なブランド力を誇りますが、成地さんが入社した当時、ビールのシェアはわずか数パーセント。「サントリーのビールなんて、ウイスキー臭くて飲めるか」とまで言われるほど、厳しい逆風の中でのスタートでした。

当時の営業スタイルは、まさに「ドブ板踏み」。問屋さんの車にビールを積み込み、問屋さんと一緒に一軒一軒の酒販店を回ります。売れない商品をどうにかして置いてもらうために、頭を下げ、知恵を絞る。

ウイスキーの営業マンが「どうぞ、どうぞ」と奥座敷に通される一方で、ビールの営業マンは「そこで待ってろ」とあしらわれる。そんな格差を目の当たりにしながらも、成地さんは「どうすれば喜んでもらえるか」「どうすれば一歩前へ進めるか」を考え続けました。

1980年代半ばになると、焼酎ブームが到来し、主力だったウイスキーの売れ行きが激減。ウイスキーなどの洋酒は売れない。ビールも売れない。今まで何も言わなくても売れた洋酒の営業担当も、ビールの営業担当と共に、工夫を凝らし始めました。会社全体としても、この状況を打破する為に新しい飲み方や新しい売り方・新しい事をしていこう、と各部署が協力して困難に立ち向かいます。

そんな中、本当に美味しいビールを作ろうと、『プレミアムモルツ』を誕生させました。高価格に関わらず、本当の美味しさがしっかりと伝わり、世の中に受け入れられます。また、若者の間で流行していたチューハイに対抗するため、ウイスキーを炭酸で割る『角ハイボール』という飲み方を考案し、居酒屋へ猛プッシュ。最初は、「伝統あるウイスキーを薄めて飲むなんて、邪道だ」と、社内のブレンダーから大反対されたそう。

しかし、顧客のニーズに徹底して寄り添う姿勢を貫き、ついにはハイボールブームを巻き起こしました。一方で、ウィスキーを丁寧に作り込む事も大切にし、出来上がった『白州』や『山崎』などは高い評価を得て、サントリーブランドを確立してきました。成地さんは、失敗を繰り返しながら進む事で、「知恵を絞り、諦めずやり切る」という感覚を培ってきた、と語ります。

60歳を機に、雲雀丘学園という教育の世界に身を転じた成地さんは、大きなカルチャーショックを受けます。民間企業では当たり前の、「競争環境」や「顧客目線」というものが感じられなかったからです。例年通りの事を続けていればいい、という空気感。「お客様(保護者・生徒)を大切にする」という感覚が、教育の現場では希薄でした。

例えば、雨の日に学校説明会に来校した保護者に対し、ビニールの傘入れをお渡しする事もなく、「そこにサインしてください」と、事務的に対応している先生方。そんな様子を見て、成地さんは「これではいけない」と、確信しました。

“学力も、人間力も”

そんな成地さんが始めたのは、校門に立ち自ら来客を迎える事でした。「ようこそお越し下さいました!」と笑顔で声をかけ、帰りも姿が見えなくなるまで見送る。最初は戸惑っていた先生たちも、成地さんの背中を見るうちに、少しずつ変わり始めました。ホスピタリティをもち、感動を与え、信頼を得る。難しい教育理論よりも、まずはニコニコ笑っている事。それだけで人は集まり、心を開いてくれると、成地さんは語ります。

学校の価値は、偏差値や進学実績だけで決まるものではありません。成地さんは、学力と同じくらい大切なのが、“人間力”だ、と言い切ります。挫折を乗り越えるレジリエンス(復元力)や、誰とでも仲良くなれる社交性。これらは、机の上の勉強だけでは身につきません。

遊びや体験を通じて、「楽しい」「嬉しい」「悔しい」などの感情を動かす事。それが、たくましく、豊かな人間性を育む土壌になる。成地さんは、学力と人間力の両方を高め、そして温かい人間性を備えていってほしい、と願っています。

雲雀丘学園中山台幼稚園がある中山台のまちについては、利便性では都会に敵わないかもしれないけれど、自然に囲まれ、土の感触や季節の移ろいを感じながら子育てができる。その「豊かさ」こそが、このまちの最大の武器になる、と考えています。

子どもたちがのびのびと遊び、近所のおじいちゃんやおばあちゃんが温かく見守る。悪い事をしたら叱ってくれ、良い事をしたら褒めてくれる。そんなコミュニティがあれば、まちはもっと魅力的になるはず。みんなで、子どもを育てるまちになってほしい、と語ります。

サントリー時代に培った「やってみなはれ」の精神と、教育現場で深めた「人間愛」。その両輪を持つ成地さんの考えや想いに触れ、会場からは「学校の先生にそんな視点があるなんて驚いた」「中山台をもっと面白くできそう」といった前向きな声が次々と上がっていました。

「お客様は何を考えているのか」「お客様は何を求めているのか」を絶えず考え続け、どのような業界に転身したとしても、本音を読み取ろうという姿勢を崩さない成地さんの姿が印象的でした!大きな事を成し遂げる必要はなく、まずは目の前の人に、笑顔で接する事から。
中山台のまちが、成地さんが実践する温かいホスピタリティで満たされていけば、感動の輪は広がり、明るい未来へと繋がっていきます!

【成地 勉】
学校法人 雲雀丘学園 常務理事
1956年、三重県南部の自然豊かな地で生まれる。サントリー株式会社入社以来、40年間にわたり一貫して営業の最前線を歩み続ける。
キャリアの原点は、ビールのシェアがわずか5%という逆境にあった大阪時代。1本のビールを扱ってもらうため、自ら箱詰め作業を手伝い、泥臭く信頼を勝ち取る「現場主義」を徹底する。その後、広島、神戸、銀座、大阪、北海道の支社長などを歴任。ウイスキーが売れない「冬の時代」や焼酎ブームの荒波に直面するも、常に「やってみなはれ」の精神を堅持。他社に負けない執念と顧客への使命感により、『響』や『角ハイボール』の再興、さらには新たな市場の開拓を牽引する。
60歳を機に教育の世界へ転身。民間企業で培った「人を感動させるサービス精神」や「変化を恐れない経営視点」を教育現場に還元。現在は雲雀丘学園の常務理事として、次世代の可能性を拓くための組織運営に心血を注ぐ。
学校法人 雲雀丘学園