2020年11月25日のハイパー縁側は、日本で初めて栄養士だけの会社を設立された野々村瑞穂さんをゲストにお迎えしました。
テーマは「人生の楽しみ方」

ハイパー縁側通算87回目のゲストである野々村さん、なんとこの日が87歳の誕生日です!3人姉妹の真ん中で大人しく、食べるのが遅かった野々村さん。「酒飲みの叔父に可愛がられ、膝の上に乗せてもらって酒のあてばかり食べていると偏食で栄養失調になったんです。」と会場の笑いを誘います。

触ったら折れるほど細身だったそうですが終戦後、小学校で走り回っていたところ打って変わって体力に自信がつき「何でもできるんや!」と思われるようになりました。

卒業後、管理栄養士の資格をとり、小学校で料理教室をしたり、病院に勤務したりしていましたが、どうしても公務員は仕事の幅に自由が利きません。
当時は地域の中でも特定の職場を持たない栄養士さん達が2,000人ほどいまいた。その方々が働く場所を広く創ろう、と市場の拡大を目指した事が株式会社を始めたきっかけでした。

そして、栄養士が社会に通用するようにと勉強会を始め、大阪で栄養士の組織作りをしたのち47都道府県の代表者をまとめ、東京で全国的な栄養士の組織をつくられたりと、日本の栄養と食の発展に従事されてきました。

“人よりも一歩先に出る”

この30年間をさらりと語られた野々村さんですが、『今までとは違う事を、人よりも一歩先に出て、前へ前へと進める。』という事がご自身の生き甲斐で、気がついたら87歳になっていたとおっしゃいます。知事賞、厚生大臣賞、文化功労賞などの輝かしい表彰も、そうやって前を向いて走り続けていると自然とついてきた、というのが実感です。

組織作りにおいても、「今まで通りのものでいいよ、というのではなく人よりも一歩先に出る。リーダーはガキ大将と同じで、次は何やってくれるのかな~、次はどんな面白い事をしてくれるのかな~、という魅力があってみんなついていくんじゃないかなぁ。」とおっしゃいます。

人生100歳の時代になりましたが、私たちの体は少しずつ壊れていきます。いい食生活をして、百寿未病を目指すべきだと仰られます。 いくつになっても、体力があって歩ければ、幸せな人生が送れます。 人は、始めることさえ忘れなければいつまでも若くいる事が出来るし、新しい事をやろうという“心”が長寿の秘訣だそうです。

野々村さんは70代の頃、90歳になったら試合に出ようと思って卓球の練習を始めたのだとか。 自分のためには自分で努力するしかできません。「前向きな姿勢、挑戦することを大切に、認知症や寝たきりにならず100歳まで生きましょう!」とお話しされました。

野々村さんに、ここまで走り続けた原動力をお聞きすると「私はこれしかできないから」と話されます。謙虚に目の前のことに一生懸命に取り組むこと、ワクワクすること、健康であること。人生において本当に大切なことを学び、野々村さんのような素敵なおばあちゃんになりたいなと思いました。

【野々村 瑞穂(ののむら みずほ)】
株式会社日本食生活指導センター 取締役会長
日本栄養士会 名誉会員
日本栄養士連盟 大阪府支部 顧問
日本末病システム学会 名誉会員/末病専門指導師
辻学園営業専門学校 教育課程 編成委員
元㈳日本栄養士会 全国地域活動栄養士協議会 会長
大阪市生涯学習センター インストラクター
大阪ガスグループ福祉財団「食と話の体操」 講師
社会福祉活動「百寿末病の会」 主宰
社会福祉活動「円美の会」和洋楽アンサンブル 主宰